鷹の子(広瀬正)

594 名前:1/4 :2012/09/05(水) 23:09:26.58
広瀬正「鷹の子」1964年発表

とあるお屋敷の未亡人は、20年前に夫に死なれてから、一人息子だけが生き甲斐だった。
夫によく似た可愛らしい目鼻立ちの少年はすくすくと成長し、夫によく似た優秀な好青年になった。
しかし大学を首席で卒業した息子は、交通事故で死んでしまった。
以来三ヶ月、未亡人は泣き暮らし、一気に20も老けたように見えた。

ある日、左官屋が未亡人を訪ねて来た。
50を過ぎて見えるが、実際は40そこそこに違いない、貧相な中年男である。

「エー奥様、このたびはまったく、何と申し上げてよいやら」
「実はせんだって、アタクシのうちに赤ん坊が生まれまして…
 
いや奥様、そっちの意味じゃござんせん、娘はまだ11でございます」
「うちのカカア、お産はこれで6度目なんでございますが…今日は某日でございますね、
 
赤ん坊が生まれたのは三月前のちょうど今日…それも何時何分でございました」
もちろん、未亡人かかりつけの医者から息子の死亡時刻を聞いた左官屋のペテンである。

「あの先生から、坊ちゃまのお亡くなりになった時刻を聞いた時は驚きましたとも」


595 名前:2/4 :2012/09/05(水) 23:10:49.80
「うちのカカアなんか真っ青になっちまって、
 
こちらの坊ちゃまの生まれ変わりに違いないとか、失礼なことを言う始末で」
「もちろん叱ってやりましたとも。生まれ変わりなんてあるわけない、勿体ない事を言うな、ってね」

何度も話し合いが行われ、未亡人は左官屋一家が死ぬまで楽に暮らせる程の金を渡し、
赤ん坊を養子にして死んだ息子と同じ名前をつけた。

屋敷には二度と足を踏み入れないこと、という条件をつけられたが、
左官屋は養子に出した末っ子が未亡人の全財産を相続する日を待ち侘びていた。
未亡人が死んだら親子の名乗りをあげ、おこぼれにあずかる目論みである。

屋敷の使用人たちは、親子水入らずを邪魔しないように、いつも気を遣っていた。
身のまわりの世話を未亡人自身が心置きなくできるように、子供部屋に近づかないようにした。
料理番が「最高級のミルク」を売っている店について具申すると、未亡人は言われるままに金を渡すのだった。

養子は左官屋そっくりの愚鈍な顔と貧弱な体に成長した。
屋敷を訪れる客は、寄付や出資の依頼が目的なので、
「亡くなられた息子さんにそっくりですこと。ご主人のような立派な紳士におなりになるでしょう」
と褒めるのだった。


596 名前:3/4 :2012/09/05(水) 23:12:17.85
未亡人は、幼い養子に死んだ息子が使っていた教科書を与えた。
養子は頁を破いて紙飛行機を折って飛ばした。
紙飛行機は庭の向こう側まで飛んだ。
未亡人は新刊本を与えた。
養子は新しいきれいな本に喜び、舟を折って庭の池に浮かべた。
「まあ、本には色々な使い道があるのね。あなたはやっぱり頭がいいわ」

未亡人は、養子を死んだ息子と同じ名門私立小に入学させた。
一ヶ月後、担任教師が家庭訪問に訪れた。
未亡人はお茶とコーヒーとケーキと最中を出して、教師の口から養子を褒め讃える言葉が出るのを待った。
菓子を平らげた教師は、養子を養護学校に入れることを熱心に奨めた。
教師を追い出した未亡人は養子を抱きしめ、
「もう学校に行かなくていいのよ」と言った。
養子は狂喜乱舞した。
「みんなわかってないわ。あの学校はすっかり変わってしまった…あなたには昔式の教育でなければ駄目なのよ」
未亡人は、蔵から亡夫が愛用していた革鞭を探し出した。

未亡人はうすらバカの養子に付きっきりで勉強を教えた。
たまに何かの間違いで正解すると、未亡人はご褒美に何でも買ってやろうとする。
しかし養子は、縁日で売っているようなものしか欲しがらなかった。


597 名前:4/4 :2012/09/05(水) 23:13:38.02
屋敷の使用人たちは、次々暇を取った。
未亡人は、やめたいのなら勝手にやめればいい、と言ったが、男には亡夫の遺品、女には自分の装身具を、
いずれも彼らが盗んだのより高価な物を惜し気もなく与えるのだった。

数年後、未亡人は二枚の写真を握りしめて町をさまよっていた。
一枚は死んだ息子、一枚は養子の写真である。
玄関にベビーカーのある家、物干し竿にベビー服が干してある家に突撃しては、住人に銅貨を投げつけられていた。
「違います。おたずねしたいことがあるのです」
「お宅の赤ちゃんはいつ生まれたのですか。もしや二た月前の…某月某日の…何時何分ではありませんか!?」

屋敷に踏み込んだ警察官が、ゴミと汚物にまみれた子供部屋で養子の絞殺死体を見つけたという。

 

タイムマシンのつくり方 広瀬正・小説全集・6 (広瀬正・小説全集) (集英社文庫)
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広瀬正・小説全集・6
(集英社文庫)