大望ある乗客(中井英夫)

649 名前:1/3 :2012/11/26(月) 20:57:51.75
中井英夫「大望ある乗客」

郊外の寂しい道を走る夜の路線バス。乗客は五人。

うら若い人妻。
彼女は新婚時代に誘惑して筆下ろしした洗濯屋の小僧に脅迫され、口止め料の10万円を闇金から借りた。
おとなしく渡す気は勿論ない。
見違えるようにふてぶてしくなった少年だが、誘惑すればついて来るはずだ。
アリバイは作ってあるし、毒も手に入れた。
(70年代の作品。10万円は今より大金だった)

大学生。
就職に有利だと考えるでもなく、何となく格好いいからコンピューター関係の専門学校にも通う。
専門学校で同じクラスの、密かに憧れていた美少女を妊娠させて棄てたイケメン講師を殺す計画。
専門学校に通う自衛隊員の方が、恋と革命に殉ずる青春を送るはずの自分よりも優秀なのも気に食わない。
イケメン講師の股間に投げつけるつもりで、火炎瓶を鞄に忍ばせている。
(70年代の作品。コンピューターはまだ電子計算機だった)

幼い兄妹。
パパと仲良しの「町のおばさん」の所に遊びに行った帰り。
ママは最近おかしい。お勉強と塾通いをやかましく言ったり、
変なお薬を飲んで昼間からいびきをかいて寝ていることが多くなった。


650 名前:2/3 :2012/11/26(月) 20:59:00.37
お庭に放し飼いしてタマゴを取っていた鶏を、平気で絞め殺して料理するようになった。
こないだなんか、夜中におトイレに起きて庭を見たら、ママの頭にツノが生えていた。
お庭の同じところをグルグル回っていたんだ。
翌朝、パパとママが藁人形がどうとかで喧嘩してた。
宇宙人か鬼がママを食べて、ママのふりをしているのかもしれない。僕が妹を守らなきゃ。
町のおばさんはきれいで優しい。
「あたしがあんた達のママになってたかもしれないのよ」
っていつも言ってる。

兄妹が父の愛人に、魔女を退治するにはどうしたらいいの?と聞くと、
魔女が寝たら丈夫な紐か針金で首を絞めればいい、紐の片方はベッドに結わえておいて、一気にやるのよ。
と、目を輝かせて教えた。

腕のいい美容師。
「髪結いの亭主」にうんざりしている。
ヒモならヒモらしく粋な遊びをしてくれればいいのに、折り紙研究家を気取って一日中教本を読んで紙を折るだけ。
パトロンになってくれそうな金満家を見つけたので、いずれ始末する計画。

運転手は祈りを捧げる格好で、ハンドルにもたれて寝ている。
バスはスリップし、勢いよく宙に浮くと崖下に逆落としに落ちた。


651 名前:3/3 :2012/11/26(月) 21:00:33.33
次章で、これは居眠り運転で五人の乗客を死なせた運転手が、罪悪感に耐えかねて精神病院で作り出した妄想だとわかる。
運転手は、乗客は皆殺人を企てていた、自分は彼らを死なせることで被害者を守ったのだ、と繰り返し主張している。
という事を、精神病院の院長は来客に語る。

この「大望ある乗客」は短編連作「幻想博物館」の一篇で、
最後の章では運転手の話も精神病院の院長の話も、昏睡状態にある一人の患者の妄想(寝言)だとわかる。

患者は昭和16年の東京の精神病院に入院している青年で、寝言で30年も未来の妄言をつぶやいている。
間もなく昏睡状態から覚めるが、覚めてもロボトミー手術の実験台に使われることが決まっている身の上である。
屈強な看護人は、
「この非常時に頭がおかしくなっちまうような奴、脳みそを全部掻き出しちまった方がお国のためですよ」
と笑っている。
…青年の瞼は徐々に見開かれ、ついに大きくいっぱいに開ききった。

 

新装版 とらんぷ譚 (1) 幻想博物館 (講談社文庫)
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(講談社文庫)