小隊長さんの戦後
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846:本当にあった怖い名無し:2014/01/20(月) 14:33:20.48
- 厨房の時老人ホームの爺さまから聞いた戦争関連の話。
なので苦手な人はスルーであと長いので分割します。
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847:本当にあった怖い名無し:2014/01/20(月) 14:48:53.07
- 爺さまは若いころ海軍にいた。
ただ海軍といっても爺さまは艦隊勤務ではなく
陸戦隊と言って陸上の戦闘を担当する部隊にいた。
で爺さまのいた陸戦隊は開戦から南方に進出して終戦までフィリピンにいたらしい。ある日爺さまの小隊に新しい小隊長がきた。
爺さま曰くこの小隊長さんはSBSとかSEALsみたいな精鋭部隊の出身で
厳しい訓練を課す人だった。
ただ訓練は厳しくても非常にひょうきんで親しみやすい人だったともいってた。
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848 :本当にあった怖い名無し:2014/01/20(月) 15:11:27.24
- 特に小隊で一番若かったた爺さまは小隊長さんにえらく可愛がられた。
何でも小隊長さんには少し年の離れた弟がおり爺さまとは年が近かったかららしい。その後ミッドウェー海戦を境に形勢は逆転し、
日本軍は米軍にどんどん追い詰められついにフィリピンにまでやってきた。上陸してきた米軍に爺さまの小隊も勇敢に応戦したものの
いかんせん戦力差が大きく本隊ともはぐれたため、ジャングルに後退しゲリラ戦をしかけた。
ジャングルでのゲリラ戦は過酷そのもので
マラリアや餓えで小隊の隊員も何人も死んだらしい。
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851 :本当にあった怖い名無し:2014/01/20(月) 15:27:44.87
- 爺さまも何度か三途の川を見かけたらしいが、
その都度小隊長さんやほかの隊員さんに助けられてなんとか生き延びた。結局フィリピンは米軍に制圧され
爺さまたちは紆余曲折の末米軍の捕虜になりそのまま終戦。
(何でも抗日ゲリラに捕まったとか何とか言っていたが詳細は不明)その後戦時の事後処理やらなんやらで
2、3年フィリピンにいた後に復員し小隊の人ともそこで別れた。で本題、爺さまは復員してから生き残るため家族を養うため必死で働き
気づくと復員から10年近くたっていた。
生活にも何とか余裕が出てきてかつての小隊の人に会いたくなり
伝手を辿って消息を調べ会いに行った。
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852 :本当にあった怖い名無し:2014/01/20(月) 15:47:08.96
- ところが最後の一人小隊長さんの行方だけようとして知れなかった。
そこで爺さまはかつて一度だけ聞いた小隊長さんの故郷を訪ねてみた。
そこで小隊長さんのお兄さんに会うことが出来たのだが
終戦後数年で失踪したと言われた。お兄さんが言うには小隊長さんは復員後すぐに実家に帰った。
ところがフィリピンで本隊とはぐれたためか小隊長さんは戦死扱いされていた。
(余談だが爺さま他も戦死扱いされてたらしい)
さらに小隊長さんが可愛がっていた弟さんは小隊長さん戦死の報を聞いて
「兄ちゃんの仇を討つ」と言って海軍に志願し終戦間際に空襲で亡くなったらしい。
これだけでも十分つらかったはずだが、
村では占領軍は米兵をたくさん殺した日本兵をかくまった日本人を殺すという噂が流れ
小隊長さんは村八分にされた。ただただ日本のために戦って何度も修羅場をくぐって村に帰ってみたら
幽霊扱いされ可愛がっていた弟は戦死。挙句村八分。
お兄さんは大分小隊長さんを気遣ったらしいが
ある日小隊長さんの住む離れを見に行ったらいなくなってたという。
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853 :本当にあった怖い名無し:2014/01/20(月) 15:54:58.20
- その後も爺さまは様々な手段を使って
小隊長さんの行方を追ったものの結局分からなかった。爺さまももう亡くなったらしいがこの話を俺に聞かせてくれたあと
この小隊長さんの行方が分からなかったことが人生唯一ぬ未練であることと
戦後ある意味仕方がないと言えば仕方がなかったのかもしれないが
国のためだなんだと言って笑顔で送り出し
生きて帰ってきても石を投げてきた奴らは絶対に許せないと言っていた。
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856 :本当にあった怖い名無し:2014/01/20(月) 16:38:34.06
- >>853
敗戦国(被占領国)の悲しさか。
しかし占領国を恨まないのも日本人の性質なのか。
ひたすらに悲しい。
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857 :本当にあった怖い名無し:2014/01/20(月) 18:01:57.28
- 会田雄次もアーロン収容所で、終戦後に日本軍の将校が
自軍の物資が英軍の役に立ったと喜んでるのを見て、
日本人ほど主人の変化に柔軟に対応できる民族もいまいって感じの自嘲してたな