戦争はなかった(小松左京)
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425:1/6:2014/02/07(金) 21:24:17.97
- 小松左京「戦争はなかった」
仕事がたて込み、旧制中学の同窓会に遅刻した。
急いで階段を駆け上るが、足を踏み外して壁に頭をぶつけた。
その音で顔を覗かせた旧友が、相変わらずそそっかしいなと笑った。
座敷ではもう酔っ払いが盛り上がっていた。今回集まったのは札付きの不良や劣等生ばかり。
皆座敷のあちこちで応援歌や猥褻な替え歌をがなり立てている。
彼は手を大きく打ち合わせて軍歌を歌った。
誰も唱和しないので違う軍歌を歌った。
「おい歌えよ、お前が予科練に行く時、駅で見送って皆で歌ったじゃないか」
隣の旧友の肩を叩くが、そいつは怪訝そうに彼を見た。
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426:2/6:2014/02/07(金) 21:27:21.10
- 何だその歌、ヨカレンて何だ、と言われた彼は逆上して説明してやった。
工場動員?なぜ中学生が工場なんかに、
落ち着け俺達の若い頃に戦争なんかなかったろ、
と反論された彼は暴れ、酔い潰れた。翌日は二日酔いで会社を休んだ。
昨夜の失態を思い出して妻に訊いてみたが…ガクドウソカイ?23年前?いったいどの戦争よ、
あなたまだ酔ってるの、いい加減にしてくださいな。書店に行ったが戦史、戦争小説コーナーは消えていた。
『野火』も『戦艦大和』もない。
玩具屋にも、永遠のベストセラー『戦艦大和』のプラモデルはなかった。
武蔵も陸奥も零戦も。
レコード屋にも軍歌集はなかった。
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427 :3/6:2014/02/07(金) 21:30:11.83
- 年表と歴史参考書を買って何度も読んだが、二・二六事件あたりまでは記憶通り。
そこから先、昭和12~20年の歴史はどうしても理解できなかった。
ただ1つわかった事は、あの大戦はなかった、という事。そんな馬鹿な、戦争がなかったら歴史は大きく変わっている筈だ。
民主主義も平和憲法も高度経済成長も、
戦争に伴う変動なくしては手に入らなかった筈だ。
戦争がなかったパラレルワールドに飛び込んだのか、
戦争はあったが誰か…何かが記録と記憶を消し去ったのか、
本当に戦争はなかったが自分が狂ってありもしない戦争の妄想を抱くようになったのか、
それとも同窓会で頭をぶつけて以来悪夢を見ているのか。
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428 :4/6:2014/02/07(金) 21:33:38.84
- 特攻隊の生き残りだった筈の課長も海軍少佐だった筈の部長も、
戦時中の事を訊ねる彼を訝しげに見た。あの大戦の痕跡を求めて、彼は広島に足を延ばした。
平和公園は市民公園で、原爆記念館は美術館で、原爆ドームはなかった。
原爆スラムはただのスラムだった。「いい加減にしてくださいな、戦争があってもなくても
今の生活は変わらないじゃありませんか」
「戦争があったかどうかなんて今更どうでもいいじゃありませんか、
夢のマイホームの手付金をもう払っちゃったのよ。
これからの事も少しは考えてくださらないと」
妻の言う通りだ、
おれの間違った記憶はおれ一人の胸に畳んでおけば丸く収まる…
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429 :5/6:2014/02/07(金) 21:42:52.85
- 馬鹿な、あれがおれの妄想なんかであるものか!
焼夷弾、面白半分のような機銃掃射、防火水槽の中で死んでいた赤ん坊、
飢餓、きのこ雲、南方で死んだ兵士。
破壊と殺戮と犠牲者の苦悩があってこそ、今の平和と繁栄があるのだ!【戦争はあった】
【多くの人々が死んだ】
【日本は敗けた】
彼はプラカードを作り、日比谷の角に立って声をからして叫び続けた。
好奇の、あるいは無関心の眼差しを浴びて、彼は原爆の惨劇を語った。
特攻隊、空襲、餓死、言論・思想の弾圧、特高の拷問。
言葉に詰まると軍歌を歌い、戦争はあったと…
あるいは「あの戦争を経験したもう1つの日本」があるのだと叫んだ。
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430 :6/6:2014/02/07(金) 21:46:09.94
- 数日して精神病院の護送車がやって来た。
彼は医局員を指差して叫んだ。
「やっぱりあの戦争の事を隠していたんだな!腕章を見せてみろ!
裏返したら憲兵の腕章が出てくるんだ!俺は騙されないぞ!」
医局員と警官は顔を見合わせ、軍歌をがなる彼を乱暴に護送車に押し込んだ。護送車を見送る人々の顔にはあれはいったい何の歌かと訝る気配もなく、
車が去ると人垣は崩れ、日比谷はのどかな春の午後の表情を取り戻した。