津田信澄

85 名前:1/2 :2012/11/08(木) 02:50:10.30
戦国時代に生きた一人の武将の話 名は津田信澄

織田信長の弟、織田信勝の嫡男。信勝は優秀な男だったが、二度にわたり兄信長に反乱を企てて殺される
その息子であった信澄は信長の母である土田御前の助命もあり生き延びる。
その頃から織田姓ではなく「津田」を名乗ったという

信澄は信長の命で柴田勝家の元で養育される。猛将柴田の元で育ち
のちに浅井家から降った猛将磯野員昌の養子となった

成長した信澄は智勇を併せ持つ優秀な武将に育った。
伯父である主君信長によく尽くし
織田一門の中でも信長の息子達に混ざって上位の厚遇を受けた
信長の秘書としての役割も与えられていたともいわれる

信長もまた、信澄を気に入っており、家臣の中でも特に有能な武将の娘との結婚を仲介してやった。
信澄はかつて父が信長に反逆したというハンデを完全に乗り越えていた


86 名前:2/2 :2012/11/08(木) 02:55:30.16
だが天正10年。1582年に運命の事件が起きる。
「本能寺の変」 信長が明智光秀に殺害されたのだ。これによって信澄の運命もまた急転する

信澄が信長のとりなしで結婚した妻の父が明智光秀だった
信澄は「主君の親族」から一転「反逆者の親族」となってしまう

そこからは早かった。
信澄は光秀との内応を疑われ、信長の息子織田信孝と丹羽長秀の襲撃を受け
本能寺の変のわずか三日後に殺害された。
この時光秀は安土城に入り、信長の集めた財宝を強奪して部下や仲間に勧誘した武将に与えている最中だったという

反逆して殺された父とまったく別の生き方をしたにも関わらず
父と同じ反逆者の汚名を着せられ同じ末路を辿ることになったというお話
因果というにはあまりに無情

なお、一説には信澄は親族でも特に優秀であり
信長の後継者として有力な候補であったために信孝に先んじて殺されたとするものもある

 

信長公記 (角川文庫―名著コレクション)
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