鄭の粉

354本当にあった怖い名無し:2013/09/26(木) 13:36:24.23
戦時中の満州での話。
話してくれたのは建設会社の社長さんだった人(以下社長さん)で
お父さんも建築の仕事をしている人だった。

お父さんの会社は満州でなかなか知られていて、
銀行や学校などの建設を任されるほど信頼されていた。
人件費の安い中国人や朝鮮人ばかりを雇っていたため、
名字が一文字なのもあいまって
社長さんは幼いながらに「父は朝鮮人なのだろうか」と
真剣に考えていたという。

お父さんの会社に、朴珍慶という朝鮮人がいた。
朝鮮人らしい大柄な体格で力持ちな彼はこども好きで、
自身の股間を指さして「朴珍」と子どもたちがからかっても
怒らず「こいつめ」と笑うだけだった。

そんな朴さんは自転車に乗れたので、ある時小さな社長さんを乗せてあげた。
日本語が苦手な彼は最初は朝鮮語の歌を歌っていたが、
やがてラジオで聞いて覚えたらしい日本語の歌を、かたことで歌い始めた。


355本当にあった怖い名無し:2013/09/26(木) 13:39:23.26
トント、トントトント波乗り越えて…という歌詞だったが、
朝鮮語の特徴で、濁音がうまく発音できず半濁音になり、
母音がややこもりがちでかなり面白かったらしい。
社長さんは大笑いした拍子に後ろから転げ落ち、道路で頭を切った。
それに驚いた朴さんもハンドルを切り損ね崖の下に落下し、大怪我をしてしまった。

急いで社長さんを抱えて会社に帰った血みどろの朴さんを見て、
社長さんのお母さんは悲鳴を上げた。
しかし手当が先と包帯を取り出したりなんかしているうちに
薬を探していた朴さんが「奥さん! 鄭の粉ないのか」と聞いてきた。
お母さんはしばらくぽかんとしていたが、やがて「ああ」と思いだした。

それは何日か前、中国人従業員の鄭が激しい腹痛を訴えた時の事だった。
安価な胃薬は家にあったのだが、飲ませるのを惜しがったお母さんは
洗面所から歯磨き粉を持ってきて、「これが薬だよ」と飲ませたのだ。
社長さんは普通の顔でそんなことをしたお母さんが恐ろしくて仕方がなかった。

この鄭の話は戦後も兄弟姉妹の語り草となったが、
おそらく中国にいるであろう鄭さんが、
自分たちの引き上げ後どうなったか、社長さんは知らない。
今も元気に暮らしていることを願うと同時に、
歯磨き粉を水に溶かしていた母親の顔を思い出すたび
恐怖と罪悪感に震える…という話だった。

社長さんのトラウマになってたというのがうーん…