松山刑務所事件

556 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:02/09/03 09:34
1982年(昭和57年)8月19日の松山ホステス殺害事件で、
ホステスの安岡厚子(31歳)を殺害した被疑者として
全国に指名手配された福田和子(逮捕時49歳)が、
時効成立の3週間前の1997年(平成9年)7月29日に、福井市内で逮捕された。
さらに、その後の取調べを経て起訴されたのは
時効まで約11時間を残すだけというぎりぎりのタイミングだった。
1999年(平成11年)5月31日、松山地裁で、無期懲役を言い渡したが、
被告側は控訴した。2000年(平成12年)12月13日、高松高裁で控訴を棄却。
12月22日、被告側は上告した。実は福田には刑務所での忌まわしい「過去」があった。

557 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:02/09/03 09:34
証言者は松山刑務所の元看守(66歳)で、彼によると、1966年(昭和41年)、
福田和子が18歳のとき、同棲していた男と一緒に高松の国税局長宅に強盗に入り、逮捕された前歴があった。
逮捕後、福田は裁判中の未決囚として旧松山刑務所の女子一房に収監された。
その前年の1965年(昭和40年)6月、松山の繁華街に強大な勢力を誇っていた
地元暴力団G会と縄張り争いをしていた今冶のY組との抗争が激化、
白昼、ライフルやピストルを乱射する事件が起こった。
これで、50人以上の逮捕者が出て、松山刑務所に収監された。

拘置中のヤクザたちは看守を現金で巧みに買収し、「飲む・打つ・買う」のやりたい放題。
挙句の果てに、看守から鍵を借りて女子房に忍び込み、女囚を無理やり強姦するという事件を起こした。
当時、女子房の定員は6名だったが、実際に収容されていたのは3人で、未成年者は福田だけだったという。
松山刑務所が密かに作成した「保安情報」と題する文書には、
<××組長は、昭和四十一年三月二十二日、拘置所女子一房においてFを脅迫し強姦しようとしたが、
 目的を遂げなかった。同二十四日、同一房でFを再び脅迫、強姦した>
とあり、福田は未成年だったので、特に<F>と記されたという。

この後、関与した看守、ヤクザらが松山地裁に取り調べられ、
国会でも論議される大スキャンダルに発展した。この刑務所の不祥事が発覚した後、
検事に取り調べられた看守の1人は、留置所のベッドの金具に手錠を引っ掛けて首を吊って自殺。
もう1人は刑務所内のゴミ焼却場の煙突から飛び降り自殺したという。