沈黙のアリバイ(横山秀夫)

836 名前:横山秀夫 「沈黙のアリバイ」 :2008/10/20(月) 01:52:07
映画「半落ち」の原作者でもある横山秀夫の短編ミステリー。
ちなみに登場人物の名前はうる覚えなり。

男は主に強殺事件を扱う警視庁捜査一係、俗に「強行」と呼ばれる部署の係長である。
そこへ現金輸送車を襲った二人組みのうちの一人が逮捕されてくる。共犯者は行方知らずである。

犯人たちは警備員の一人を刺し殺し、逃げるもうひとりの警備員を奪った輸送車で跳ね飛ばす。
が、警備員はかろうじて命を失わずにすんだ。
さらに輸送車を乗り捨てようとするところを近所の人に目撃されてしまう。
もはや言い逃れもできないような状況なのだが、犯人は逮捕されてから完全黙秘を貫く。
執拗に責め立てる同僚の刑事。
その粘りが勝ったのか、ついに勾留期限ぎりぎりになって、完全自供をする。

しかし公判初日に裁判官に対して「全部事実ではありません、私はやっていません」
と自供をひるがえし、「私にはアリバイがあります」と言うのであった。
騒然とする廷内、刑事たちはふたたび捜査をやり直すはめになる。

そのアリバイとは、犯人が事件の時刻に共犯者の愛人と寝ていた、というものであった。
しかしその愛人も共犯者とともに行方をくらましてしまっていた。


837 名前:横山秀夫 「沈黙のアリバイ」 :2008/10/20(月) 01:53:14
なぜ犯人は自供をひるがえしたのか?男は犯人の真意を探ろうとする。
犯人は5年前に強姦詐欺事件で逮捕されていた。
今回の事件ではほぼ完全黙秘を貫いているため、供述テープは役に立たない。
そこで二課から前回の取調べでの供述テープを取り寄せる。
それには今回とは逆に、ひたすら担当の刑事に罵声を浴びせる犯人の肉声が録音されていた。

「俺は強姦なんかしちゃいねえ。そりゃ最初は女は嫌がっていたが、
最後はよがって腰を振ってきたんだぜ、和姦に違いねえだろーが」

「俺は誰も殺しちゃいねえ、お前らのほうが人殺しだろーが、この人殺し、人殺し野郎が」

車を運転しながらカセットを聴いている男の脳裏に、この犯人の言葉によって、
23年前の事件がフラッシュバックしてくるのであった。


838 名前:横山秀夫 「沈黙のアリバイ」 :2008/10/20(月) 01:54:12
23年前のある日、男は同僚の若い刑事が運転する車に乗っていた。
ふと道路の反対側に、生活に疲れたような若い女がぼんやり佇んでいるのに気づく。
と、そのとたんに横合いから子供が飛び出してきた。
避ける暇すらなかった。

何かやわらかいものに乗り上げたと思うと、硬いものを押しつぶす感触が、車体を通して伝わってくる。
急ブレーキを掛けた車は、中央分離帯に乗り上げて傾きながら停止する。
そこへ対向のトラックが突っ込んできて、運転席の刑事を押しつぶした。
一瞬にして二人の人間の命が失われてしまった。

子供は道路の反対側にいた若い女の子供であった。
その母親は押しつぶされた亡骸を抱いてひたすら我が子の名前を呼びかけていた。


839 名前:横山秀夫 「沈黙のアリバイ」 :2008/10/20(月) 01:55:02
告別式の日、土下座する男に向かって、女は冷たく言い放つ。

「死ぬまで二度と笑わないと誓ってください。
あなたはたーちゃん(うる覚え)の笑顔を奪ったのです。
だからあなたも、死ぬまで二度と笑わないでください」

ただ黙って頷けばよかったのだ。
だが男は顔を上げて母親の顔を見つめた。
それほど残酷な言葉を吐く女の心境はどんなものなのか、知りたかったのだ。
男のその眼差しは、犯人たちから「顔剥ぎ」と恐れられているほどの、人の心の奥底まで
見通せるぐらいに鋭いものであった。

本当に傍らの椿の花を眺めていたのか、走ってくる子供を見ていたのではないか?
父親が誰とも知れない子供だから、耳が不自由な子供だから・・・

女は冷たく無表情に男の眼差しに答えるだけであった。

五日後母親は首を吊って果てたのであった。


840 名前:横山秀夫 「沈黙のアリバイ」 :2008/10/20(月) 01:56:55
今ならわかる。

やはり母親の心には何もなかったのだ。

だが男の心底を探るような鋭い眼光に打たれて、母親は自分の心を疑ってしまった。
そして五日間自分の心を探って、実は我が子の死を望んでいたのだという感情に気づいてしまった。

父親が誰とも知れない子供だから、耳が不自由な子供だから・・・

いや、そんな感情を持っていたと勘違いしたのかもしれなかった。
だが母親はそんな自分の気持ちに耐え切れずに、死を選んだのであった。

男はそれでも刑事をやめなかった。

今ならわかる。

23年間ただひたすら人の顔を剥いできた。
こいつは俺と同等だ、こいつは俺より劣っていやがる。俺よりも、俺よりも・・・

男は死ぬまで二度と笑うまいと誓ったその日から、そうして生き続けてきたのであった。


841 名前:本当にあった怖い名無し :2008/10/20(月) 03:19:00
終わりっ?!

842 名前:本当にあった怖い名無し :2008/10/20(月) 03:35:49
>>841
後味の悪い部分はこれで終わりです。
そのあとの犯人の作り上げた「沈黙のアリバイ」を崩して、
犯人に引導を渡す部分は、痛快な逮捕劇であり、
ネタバレにもなってしまうので、割礼させていただきます。

 

第三の時効 (集英社文庫)
第三の時効 (集英社文庫)