島津亀寿

168 名前:本当にあった怖い名無し :2009/08/21(金) 19:27:59
後味悪いなぁって思った島津亀寿の人生。

亀寿は戦国大名・島津義久の三女で、男子が生まれなかった義久にとっては嫡女だった。
(姉二人は先に嫁いでるんで、亀寿の婿が島津家の次期当主になる)
最初の結婚相手は従弟の島津久保。有名な島津義弘の二男。
久保は義久にも期待された優秀な人物で、亀寿との夫婦仲も良かったが、若くして病死してしまう。

再婚相手は久保の弟で陰湿だと評判の島津忠恒。ここからが亀寿の不幸の始まり。
忠恒は兄のお古で5才年上の亀寿が気に入らなかったらしく、夫婦仲は険悪で子供もできなかった。
それでも義久が存命のうちは正室として遇されていたが、義久が没し、忠恒が当主となるとその遠慮もなくなる。
亀寿は居城を追い出され、忠恒はあてつけのように側室を8人も囲いだし最終的には33人も子供を作る。
それで放置ならまだしも、よっぽど亀寿のことが嫌いだったのか、別居先への仕送りをやめる。
当然亀寿は困窮して、大名の正室だというのに蝋燭を買うのもままならない生活を送った。
それを哀れんだ義弘が援助するが、義弘が死ぬと更に締め付けは厳しくなり、ほぼ囚人状態。
その後亀寿は父から譲り受けた島津家の家宝が忠恒の手に渡らぬよう懇願しながら病死。

亀寿の死後、忠恒は「あたし世の雲かくれ行神無月 しくるる袖のいつはりもかな」
(10月に亀寿が死んでしまって、悲しみの涙で私の袖は絞れるほど濡れている…ってのは嘘だよーんwwwww)
という歌を詠んで亀寿の侍女に渡した。
更に忠恒は亀寿の墓を建てることもしなかった。

生前も死後も夫からの扱いがひどすぎる。仲悪くてもそこまでするか普通?
まぁ忠恒はひどい逸話が多いので、関わった人間が後味悪くなるのは亀寿に限った話ではないようですが。