世紀末の詩/第2話「パンドラの箱」
- 野島伸司「世紀末の詩」の「パンドラの箱」ある日、主人公の野亜と百瀬は冴えない道化師の男と出逢う。
盲目の女性に好意を抱いていた道化師は彼女を献身的に支え、
彼の真摯さにうたれた彼女はやがて道化師を愛するようになった。
道化師は彼女に自分と同じ世界を見せたいと視力回復の手術を受けさせるという。互いを支え合い愛を育む二人を見た野亜は「ラブバード(比翼の鳥)みたいな理想のカップルだ」と言うが、
百瀬は「手術をするべきじゃない。目が見えるようになったら彼女は人間の欲を見てしまう。
見えていないからこそ彼女は純粋なんだ。」と返す。手術は無事成功し、彼女は視力を取り戻す。
視力を取り戻した彼女は鏡を見、初めて自分が美人であることを知った。
同時に献身的に尽くしくれた道化師が冴えない貧乏男であることを知ってしまう。
彼女はあっさりと道化師を振り、自分の美貌に釣り合う金持ちのイケメン医者の元へ行ってしまった。理想のカップルとして見ていた二人の結末に「あんまりだ」と嘆き悲しむ野亜。
「俺の言った通りだろう。手術なんて止めれば良かったんだ。余計なものが見えるようになったから…」
百瀬の言葉に野亜は「愛など無いというのですか?あると言え!お願いです、言って下さい…」と叫び泣き崩れる。彼女にふられた道化師は公園でパントマイムを披露していた。
周りに客も無く、彼に視線すらも合わせない人が行き交う中、道化師は淡々とパントマイムを続けていた。
- >>34
世紀末の詩わすべて後味悪いでも面白いwドラマDVD化されねぇかなぁ…
- >>34
途中から視力を得ても美醜の感覚ってわかるもんなのかね?
初めて目にしたのがイケメン医者だった?道化師が同じく手術受けさせて目は見えるようにするけどなんかのミスで顔に傷がついて、
美女じゃなくなった女を道化師が捨てて、「私は変わらないのに」と女が悩むほうがおもしろいと思うけど
後味の悪さは負けるか。
- >>39
彼女自身「自分がブサイク」だと思ってたので目が見えるようになったら真っ先に鏡を見たいと思ってた。
で、実際に見たら思った以上に美人だった。見たのは自分→医者→道化師の順。(医者は彼女の執刀医だったか)
- 先天性なら、どんな顔が不細工で、どんな顔が綺麗なのかわからないよ
- 盲人が視力を取り戻しても、「見ること」を学ぶのは大変なんですと。
大概の元・盲人は、喜ぶ(見るものすべてが文字通り新しい)→ごちゃごちゃで疲れる→憂鬱→体調崩す、になるとか。目の手術が終わって包帯を取っても、
自分の顔を覗きこんで何かを訊ねる医者の顔が、ぼんやりとした大きな塊にしか見えない。
「声は口から出る」「口は顔にある」
ってのを思い出して、やっとそれが医者の顔だと学習するとか。
- 顔ニューロンが育ってないからだろうねたたま本能(遺伝子)的に美醜をある程度判断する(顔のパーツがシンメトリーなど)という説もあるらしいね
ごちゃごちゃしてるってのも視覚による情報処理機能が育ってないからだろうし、
本来視力の処理してる脳の部分を他の感覚処理に特化させてしまったからなんだろうな人体は面白いな
- 欠けていたものが満たされて幸せになれるかと思いきや
失ったもののほうが多かったという、後味が悪いというか
やりきれない話だね