宅間守

3191/3:2013/01/27(日) 00:55:51.47
宅間守の獄中手記より

最後の公の場となる法廷で是非を言いたいことがあった。
それを弁護士が、裁判長にたのんだが聞き入れられず、直接交渉するに及んだ、
「何や法衣、着てえらそぶりやがって」という気持ちが強く、今までの後半では、
検察のパフォーマンス通り、遺族にはボロンチョンに言われたりして、
まあプスプス刺し殺したのはワシやから辛抱しといたろという気持ちがあり、おとなしくしていたが、
最後には、言いたい事をいわせてもらおうと裁判長に食い下がったのである。

そして「退廷」と言われた。その瞬間「これで楽出来る」と思った。
裁判所の房に還って、寝転がっていられるからだ。
と同時に、看守に連行される数秒の間に一番言いたかった事を傍聴席に浴びせてやろうと思った。

まあ、結果オーライではなかったかなと自分では思う。
法廷やから判事やから一日おいたりせえへんでぞというワシのスタンスにも合致して、
あれは、あれでよかったとおもう。

次に死ぬ事は怖くないとの事だが、正直、一番のワシにとっての快楽だと思う。
そりゃ、天神川の大ケガがなく、安定した又は、自営業でも、利は薄くとも安定した職でもあり、
ベッピンの嫁はんでもいたら、私特有の不快な思いをしながらも生きて、むしろ普通の人間よりも
死なないように、バイクの乗るのをやめたり、
他出来るだけ不慮の事故で死なないように気をつけて生きていたのではないかな。

しかし、大ケガの後遺症、シャバにいるやつ(数十人)への恨みから、
早くおさらばしたい気持ちで一杯です。今度(よた話になるが)生まれてきたら、
金持ちのボンボンで、中の上の知能で3流私立医大へ行き、
内科医になって、トラブルで殺されたりしないよう気をつけて、
ベッピンの女とセックスをしまくりたい。まあ今生でもセックスはしまくったが・・・・・・

死ぬ事は全く恐くありません、まあ、どう解放されてもいいが。
年間3万数千人、自殺するんですよ「ホンマは、宅間、死ぬのんびびっとるで」
という人がいるとは思うが、そしたら年間3万数千人の自殺は何なのだ。
あんまりワシに憎まれ口を叩くな。
人の一生なんて、偶然的な心臓の連続鼓動でしかない、人間なんか、
いつ死ぬか解らんし、プツーと刺されたり、ちょっと殴られただけでも死ぬときもある。


3202/3:2013/01/27(日) 01:01:41.20
これでよかったのだ。これで、私は、生まれて来たのが間違いだったのだ。
しかし、宝くじ3億当たっとたら、今回のブスブス事件は起こしてないよ。
やはり金なのかな、イライラカリカリしていても、温泉につかり、マッサージされて、
美人に酌でもしてもらったら少しはおだやかになれるだろう。
やはり、皆が言うように金だな、世の中は金、世の中は金。金があれば美人の嫁も買える。

犯罪者諸君は思っているのでないか、
「宅間はバカだな、あんな事するんだったら、大口のタタキ5回出来るぜ」と、しかし、強盗君よ、
「おまえらとワシは価値観が違うのだ、成功すれば一億失敗すれば10年、ワシはそのリスクは困ります」

話変わりますが、あんな親から出来ていたら、こうなりまっせと言いたい。
ワシが悪いんじゃない、全て親が悪いのだ。
その親の家のガラスが一枚も割れていないとは、ワシには理解できません。
ジロジロ見る奴、わざとイヤキチする奴、もううんざりです。

私は、ヘビースモーカーでね、焼き鳥に生ビールぐいもしたいけど、
ロングピースをおもいっきり吸い込んでみたいね。
まあ、よほどへそ曲がりな看守じゃない限り死刑執行の前日はタバコを吸わせてくれると思うけど。

遺族は、国から7500万もらってホクホクですな。よろしいな、自分の子供に保険金かけて、
殺す親もいるのだから、転り込んだ7500万円よろしいな、
もうワシは後、確定するだけです、そして執行。
6ヶ月以内に執行されるない恐れがある場合は、
刑訴法475条をたてに法務大臣を訴えるつもりです。
遺族が「早急に執行を」とする記事を読みましたが、願ったりかなったりです、
遺族も法務省に何らかの圧力をかければいいのです。私は死にたい、うんぬんよりも、
悔しいこと、無念な事、出来なかった事、やられた事、だまされた事、
お腹の赤ちゃんを殺されたこと、等々、不快な思い、辛い境遇をシャットアウトしたいのです。
不快な思いから逃げたいのです。
いや逃げたいというか、もう恨みつのりの人生をうんだのです。


321 3/3:2013/01/27(日) 01:05:05.04
後は看守に嫌われんように仲良くして、吊るされるのを待つだけです。
それと遺族は「私に死ね死刑!!」といっているが、一体自分達は何百年生きるつもりなのだ、
遺族も後、正味、20年から30年でしょうが、ワシが、一年以内に死んでも、
20年、30年あっという間なのに、何を「死ね死ね」と死が、特別の何というか、
死を過大に評価しすぎていると思う。

人生は、人にもよるが、60年、後は感覚も快楽感も鈍り、頭の回転がひたすら悪くなり、
現実的な死は70だ、女は現実的死は閉径だ。
湯川なんとやらという歌手の歌で「人生半分50で始まる・・・」とあるが、バカか、
50やったら人生の7分か8分か過ぎているではないか、
100まで生きる人間もいるが、60から感性も体力もよぼよぼで、
70以後は、ただ惰性で大なり小なりボケて、
臭い口臭をハーハーやりながら老害をまきちらして生きているだけではないか、

追伸
人生は昔も今も50だ。よく覚えとけ。

———–
以上、転載


322 本当にあった怖い名無し:2013/01/27(日) 01:36:02.61
本人の思惑なんか知ったこっちゃないわな
死にたがってようがそうでなかろうが、死刑にされるべき人間が死刑にされただけ

323 本当にあった怖い名無し:2013/01/27(日) 03:49:07.46
頭悪い文章…転載乙w
迷惑なゴミ男だな

324 本当にあった怖い名無し:2013/01/27(日) 08:00:08.84
>>323
頭悪いというか…逆に死刑にしちゃいけない人間だったのではあるまいかと…
そこを狙ってあえて書いたのかもしれないけど。

325 本当にあった怖い名無し:2013/01/27(日) 09:25:55.17
なかなか読ませるな。思うところが実によく伝わってくる。

生きる権利そのものを剥奪する点では死刑というのは最上のものなんだろうけど、
やっぱり死は救いにもなってしまうんだよねぇ。
人道的にどれだけ問題があろうとも、苦しませる事そのものを目的とした刑罰が欲しくなる。