忠左衛門蛇

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忠左衛門蛇(ちゅうざえもんへび)

広島県比婆郡東城町でいう怪蛇です。

昔、戸宇に忠左衛門というならず者がいました。酒癖が悪く酔うたびに暴れ、博打を打ち、
盗みを働き弱い者苛めをする、女を見れば追いかけ回すといった有様で、
村人たちも困り果てていました。

やがて忠左衛門は強盗や放火にまで手をそめるようになり、
とうとう村人も見過ごすわけにいかなくなって役人に訴え出ることにしました。

捕えられた忠左衛門は数々の悪行から厳しく詮議され、
村中引き回しのうえ磔という仕置を受けることとなりました。
仕置が行われる日、まず忠左衛門は雁字搦めに縛られて裸馬に乗せられ、
役人に連れられて村中を回りました。このとき忠左衛門は、
これまで害を被った人々から、容赦なく石を投げつけられたり罵声を浴びせられました。
刑場のある千駄瓦に着くと、竹矢来の周りは既に黒山の人だかりができていました。


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磔柱に縛られる寸前となって、忠左衛門は突然役人の前に座り込んで頭を下げ始めました。
そして
「お役人衆、どうかわしの最後の願いをきいてつかあさい。おたのみしやす。
 もうここで死ぬこたあ覚悟しておりやすが、せめておっかあに会わしてつかあさい。
 ひと目おっかあに別れょをさしてつかあさい」
と、鼻水をすすりあげて懇願します。

役人は上役と相談の後、一度はこの願いを退けます。
しかし、なおも頼み込む忠左衛門の姿に同情して、一目だけ会うことを許してやりました。
間もなく処刑される定めの息子を前に、老母はおろおろするばかりです。
「おっかあ、えろう苦労かけたのう。じゃがわしゃあもう死んでいくで。
 おっかあ、達者で暮らしんさいよ。おっかあ、最後の頼みじゃ、おっかあの乳を吸わしてくれえ」
忠左衛門は泣きながら頼みます。

母親は泣きじゃくりながら胸元を開いて、しぼんだ乳房を息子の口に押し付けました。
直後、母親は「きゃっ」と悲鳴を上げてのけぞったかと思うと、
胸を鮮血に染めて気絶してしまいました。役人が駆けつけて見ると、
母は乳房を噛み切られており、忠左衛門は口から血を垂らしながら母を睨みつけていました。


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忠左衛門はぽいと乳房を吐き捨ると、役人たちにこう言いました。
「わしがこんな悪党になったなあ、みんなおっかあのおかげよ、お役人衆、よう聞きんさい。
 子供んとき、わしゃあちょっとした出来心で近所の下駄を盗んできたことがあったんじゃ。
 そのときなあ、わしゃあおっかあに叱られるかと思うとったんじゃ。
 せえが、叱るどころかおっかあは、ようやったとほめてくれたんじゃ。
 わしゃあ子供じゃったけえ、せえから後ゃあ、おっかあにほめてもらおうと、
 なんべんも盗みゅうするようになってしもうた。わしゃあ大きゅうなって、おっかあが憎うて憎うて
 やけくそになったんじゃ。へえでもわしゃあおっかあにそのこたあ今まで言わんこうに
 きたんじゃが、どっちみち死ぬことに決まったわしゃあ、最後におっかあに思い知らせて
 やろうと思うたんじゃ。お役人衆、はようわしゅう殺してくれんさい」
血まみれの顔で叫んだ忠左衛門は間もなく磔刑に処されて死亡、
母親も出血多量のため程なくして息を引き取りました。

その後、千駄瓦には頭の2つついた蛇が現れました。
村人たちは、忠左衛門と母の業が残り、親子が一匹の蛇に生まれ変わったのだろうと噂しました。
そして、いつしか双頭の蛇は忠左衛門蛇という名で呼ばれるようになりました。
この蛇の子孫が続いたのか、後にも同じような蛇がときどき出たということです。