熊のヴォイテク
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601:本当にあった怖い名無し:2013/05/11(土) 12:53:24.94
- 熊のヴォイテクの話がなんかあれだったので
WW2の時代、ドイツに国を占拠されて外国に散らばったポーランド軍と行動を共にした実在のオス熊。
元は1942年のイランで生まれ、すぐに母親を猟師に殺されたが現地の少年が保護。
その後近辺に駐屯していたポーランド軍に引き取られ、陽気な戦士という意味のヴォイテクと命名される
ヴォイテクはウォッカの空瓶に入ったミルクで育てられ、たちまち隊の人気者となっていく。
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602:本当にあった怖い名無し:2013/05/11(土) 12:55:26.65
- やがて連合軍のイタリア攻略にポーランド軍も参加することが決定するが問題が発生する。
野獣を軍用船に乗せることは出来ないのだ。そこでヴォイテクは二等兵の階級を与えられる。
名実共にポーランド軍の所属になったのだヴォイテクは果物や蜂蜜だけでなく兵士と同じく酒やタバコも好物だった
イタリアに上陸した後は兵士たちと一緒のテントで寝泊りし、暇なときは遊び相手となった
モンテ・カッシーノの戦いでは弾薬運搬も行い。一度も弾薬を落とさなかった
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603 :本当にあった怖い名無し:2013/05/11(土) 12:57:47.22
- やがて戦争は勝利で終わったが、兵士とヴォイテクはポーランドにいけなかった
ポーランドが共産化し、主に西側の支援を受けていた兵士は逮捕の対象となったからだ
自由ポーランド軍は戦勝パレードに出ることも許されなかった。1947年、ヴォイテクは5年の軍生活を終えてイギリスの動物園に送られた。
そして、1963年に死ぬまでそこで余生というにはあまりに長い期間を過ごした
元ポーランド軍兵士が来ると喜び、兵士もタバコをあげて答えたという
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604 :本当にあった怖い名無し:2013/05/11(土) 13:00:32.49
- しかしその後はポーランドの動物園に行くか行かないかで揉めたり、病魔に苦しめられた
特にポーランドは自国への誘致に失敗したとき、新聞で「熊ごときが英雄」と彼を非難した
すっかり病弱になったヴォイテクは他の熊とも付き合わずに、岩山に一人でよくたたずんでいたというそして最期の時、ヴォイテクはあまりに苦しんだため安楽死がない時代の手法である射殺で天国に上った
ポーランドが民主化し、兵士たちが国に帰れるようになるのは1990年になってからだった。
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605 :本当にあった怖い名無し:2013/05/11(土) 13:03:39.55
- 一応ポーランドでは美談として扱われてますが、
見方によっては歴史や戦争に翻弄された被害者とも言えるかもしれません。