敗北者(赤川次郎)
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608:1/2:2013/05/11(土) 20:18:20.19
- 赤川次郎の短編小説 「敗北者」
酷い二日酔いから石毛が目覚めると、そこは見知らぬホテルだった
ふと隣を見ると若い女性が眠っていた。床に散乱する制服からどうやら女子高生らしい。
昨日会社の飲み会でしこたま酒を飲み、最後に入ったスナックでこの子と出会い、
何かの会話の後、酔った勢いでホテルに入り一夜を共にしたことをおぼろげに思い出す。家に帰り、妻の美奈子に正直に告白し、正気でなかった、どうか許してほしいと謝る。
美奈子は優しく真面目な夫を愛していたし、幼い娘もいるため離婚は考えられなかった。
途方にくれながらも美奈子はその『寺井佐知子』という少女と話し合うため、
スナックに手がかりを探しに行く。
しかし店ではそんな娘は見たことないと言われる。
しかしこの場所は以前喫茶店で、5年前そこで妻子ある男と痴情のもつれから女子高生が刺殺され、
男も自殺するという事件があり、その殺された娘の名前が寺井佐知子だと聞かされた。困惑する美奈子の前に当の女子高生が訪ねてきた。
どういうつもりかと問い詰める美奈子に自分はいわゆる幽霊で、5年前殺された寺井佐知子本人である。
あなたには悪いが自分は長い間あの場所で自分を見ることが出来る人を待っていた、
私を見ることができるのは誠実な心を持った人だけ。
あなたのご主人と『契りを交わしたら一週間後共に向こうの世界に旅立つ』という契約をした、と話した。
それはつまり夫の死を意味する、そんな馬鹿な話はない、契約なんか無効だと憤る美奈子に
佐知子は娘を一時仮死状態にして見せ、残念だが自分の邪魔はさせない、
では期限が来たら石毛を連れて行くと言い残し消えていった。
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609:2/2:2013/05/11(土) 20:20:59.17
- 何も手立てがないまま約束の日がやってきた。そして美奈子はあることを思いつく。
契約の事など全く覚えていない夫に、会社の帰りに近所の多田さんの家に寄って、
約束していたお土産を奥さんから受け取って来てくれと頼む。
石毛は承知しながら『はて、妻はあそこの奥さんを嫌っていたはずでは』と少々疑問に思う。
言われたとおり会社帰りに多田家を訪ねるとインターフォン越しに招き入れられる
どうぞこちらに、と奥の部屋から声がして、入っていくとベットの上で奥さんが微笑んでいた。石毛の家では佐知子が約束通り現れ、奥さんと娘さんには申し訳ないと思うが、
契約どおり連れて行く、悪く思わないでほしいと言う。
そこへ石毛が帰宅してきた。
さあ、私と一緒に行きましょうと佐知子が語りかけるが石毛にその声はとどかず
佐知子の姿も認識できなくなっていた。
愕然としながら佐知子は気付いた。もうこの人は誠実さを失ってしまったことを。
なんてことをしたんだと責める目で美奈子を見つめながら、
やがてあきらめた佐知子は悲しげに去っていった。
美奈子は奔放な多田家の百合子が以前から石毛を「狙って」いたのはよく知っていた、
うちの事情を嗅ぎ回り、用もないのにやたら家に上り込もうとしたり、
あからさまに夫を貸してくれなどと言われたこともある。
今まで適当にあしらい、夫と百合子を会わせないように気を付けてきたのだ
そんな百合子の所に夫を一人で行かせればどうなるか解りきっていた。
夫は誘惑に負けて百合子と寝てきたはずだ、仕組んだのは自分だ。
美奈子はどうしても夫を失いたくなかった。どんなことをしても
だが、本当に自分は失わなずにすんだのだろうか、あの少女に勝てたのだろうか。
わざとらしいほど陽気に娘の相手をする夫の声を聴きながら、
一人キッチンで美奈子は声を押し殺し泣き続けた。