中央アフリカ共和国
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284:1/2:2013/10/24(木) 21:57:59.37
- 中央アフリカ共和国という国がある。
日本人には馴染みが薄いこの国には、
かつてバルテルミー・ボガンダという政治家がいた。フランス議会に選出された経験のあるインテリだった彼は
自治領として中央アフリカが成立すると、首相に就任。
親族のダビッド・ダッコ等を要職に就けると共に
周囲の他植民地(今のチャド、コンゴ共和国、ガボン)との連携を考え、
「中部アフリカ共同体連盟」を提唱。嘗ての宗主国フランスの国旗から青と白を、
アフリカ諸国の国旗の色から黄色と緑を取り四列に並べ、
両国に共通する色の赤で真ん中を通し、右上には自由を表す黄色い星を描いた。しかし高度な自立を求める他の植民地に反対を受け計画は頓挫、
ボガンダは独立の直前に飛行機事故でこの世を去る(暗殺説もある)。
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286:2/2:2013/10/24(木) 22:08:59.09
- 「中部アフリカ共同体連盟」ではなく「中央アフリカ共和国」として独立した
この国の初代大統領は前述のダッコ。
30歳と言う若さながらフランスの支援を受けての就任だった。
ダッコは就任後数々の役職を兼任、独立を手伝った仲間を追い落とし
自分の所属する政党のみを合法政党とする一党独裁制を敷いた。しかし国内は汚職が蔓延、経済は停滞し程なくクーデターが発生する。
中心となったのはジャンベデル・ボカサ。ボガンダの甥でダッコの従兄弟だった。
彼は就任後自らを「終身大統領」と宣言。
その後は国名を「中央アフリカ帝国」と改名し国家予算の二倍の金を注ぎ込み、
「皇帝ボカサ1世」として即位した。(ちなみに、日本の天皇陛下も戴冠式に招かれているが
「どういう意図で招いたのか分からない」と宮内庁が拒否。
ただし国名の変更は認めている。)
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288 :長くなったので続き:2013/10/24(木) 22:23:55.39
- 当然こんな生活が上手くいくはずはなく、わずか二年で帝政は崩壊。
共和国に戻った中央アフリカを再び率いるのはダッコだった。
(彼の就任は国民の選挙ではなくフランスの後押しによるものだった)
しかし一度運営に失敗しているダッコはまたしても国内経済を悪化させ、
腹心のコリンバ参謀総長に国を追われる。コリンバもまた自分の所属する政党意外を認めないばかりか
自分のいた部族を優先的に登用したため暴動が発生、
跡を継いだパタセも民主選挙で選ばれながらも部族優先の運営手腕が反感を買う。
で、彼もまた腹心のボジゼに国を追い出され、
ボジゼも反政府勢力に国を追われ…とクーデター続き。独立当初からの血縁・部族主義とそれを利用したフランスのせいでいつまでも貧しいままの国…
日本で良かったと思う反面、「どうすんだこの国」と思う。
きっとボジゼを追い出した勢力も部族優先→
不満を持った他の部族にクーデターに合い亡命…の繰り返しになるんだろうし