魔性の恋人(シャーリィ・ジャクスン)

6591/7:2013/12/07(土) 09:37:43.52
シャーリィ・ジャクスン「魔性の恋人」

彼女は一晩中眠れなかった。
午前一時半、未練たっぷりに恋人を見送り、
明日の為に少しでも寝ておこうと努力したが諦めて七時にコーヒーを淹れた。
今日着る予定の服を点検し、本を読もうと思ったが
それより妹に手紙を書こうとペンを取った。

『親愛なる妹へ。あなたがこの手紙を読む頃には、姉さんは結婚していることでしょう…』
ここまで書いたが破り捨てた。

朝食は役場に婚姻届を出しに行く途中で二人で外食しようと
昨夜話し合ったので、彼女は空腹を我慢した。
小さな台所には敢えて少しの、明日の新婚第一日目の朝食の材料しか置いていない。


6602/7:2013/12/07(土) 09:39:53.14
今日の朝十時に婚姻届を出し、彼女は恋人と結婚するのだ。
彼はいずれ作家デビューし、彼女は勤めを辞めて家庭に入るだろう。
それまで彼女が働き、この小さな一間きりのアパートに二人で暮らすのだ。

何度も着たシルクの青ドレスをやめて、
彼と出逢う前の去年によく着た花柄ドレスにしようかと迷いが出た。
でもレース襟が若すぎる、33歳ならいいが34歳では
どうも、スカートが短すぎやしないか、と悩んだが花柄ドレスに決めた。
バッグはどうしよう、花柄ドレスに合うバッグは角がすり切れている。
青ドレスに似合う青バッグは花柄ドレスには似合わない。
箪笥には他に、今日という日に相応しい服がない。


663 3/7:2013/12/07(土) 09:45:07.45
彼女は花柄ドレスをやめて青ドレスに決めた。
髪はひっつめるだけでいいが、問題は化粧だ。
派手にすると、やっと男を捕まえた中年女が浮かれているように見えるだろう。
なるべくいつも通りに、でもいつもより綺麗に見えなくては。

うっかりしていた、シーツを換えなくては。
彼女は初夜の事を考えまいと努力しながら、ベッドを整えた。
シーツと枕カバーを洗濯かごに放り込み、バスルームのタオルも全部換えた。
新品の下着をおろし、青ドレスに着替えた彼女は考えた。
空腹なのにコーヒーを飲むのはよくない、階下のドラッグストアで何かつまんで来よう。
明日の為の食料には手をつけたくない。


664 4/7:2013/12/07(土) 09:48:29.96
でもその隙に彼が来たらどうしよう、と思ってドアにメモを貼った。

『愛しいジェイミー、下のドラッグストアに行ってきます。すぐ戻ります』
彼の為に鍵をかけずにドラッグストアに降りたが、
結局コーヒーを飲んだだけで部屋に駆け戻った。

「ジェイミー、今戻ったわ!」
極上の笑顔でドアを開けると同時に叫ぶが、誰もいない。
煙草のせいで空気がよどんでいる。

約束の十時を回った。
洗い物が増えるが、もう一度コーヒーを淹れて彼を待つ。
思い直して花柄ドレスに着替え、おとなしく彼を待っていたが
いつの間にかうたた寝してしまったようで、もう一時半。
…彼のアパートに行ってみよう。


665 5/7:2013/12/07(土) 09:52:14.91
彼女はコートをはおり、花柄ドレスにそぐわない青バッグを掴んで部屋を飛び出し、
彼から聞いていた住所を訪ねた。
そこは瀟洒なアパートだが、郵便受けを見ても彼の名前はない。
管理人に訊いても、彼…ジェイミー・ハリスという名の
金髪で背の高い、紺色のスーツを着た作家志望の青年は住んでいないそうだ。

男は女に花束を贈るものだ!彼女は花屋に訊いてみた。
…あのう、今朝、金髪で背の高い青年が花束を注文しませんでしたか?
…いいえ、配達ではありません、さあ、どんな花束かは知らないんですけど。
彼女が花を買いに来たのではないと知った主人は仏頂面で、
それっぽっちの手掛かりではねえ、と答えた。


666 6/7:2013/12/07(土) 09:55:25.27
新聞スタンドの売り子に、
今朝このあたりを金髪で背の高い紺色のスーツを着た青年が通らなかったか、と訊ねたが、
この街にそんなのが何人いると思うんだ、と返された。
売り子と客が噴き出すのを背中で聞いた彼女は
デリカテッセンでも同じ事を訊ね、同じ答えを得た。

靴磨きの老人は、花束を抱えた青年があっちのアパートに入るのを見た、
男はいつだって女に花束を贈るものだよ、とニコニコしている。
近くのドラッグストアで訊ねてみたが、
花束を抱えた背の高い金髪の青年なんか見なかった、と言われた。
もう一度靴磨きの老人に訊ねてみると、人を疑うのかと仏頂面。
アパートはみすぼらしく表札も出ていない。


667 7/7:2013/12/07(土) 09:57:56.79
アパートの前にいた生意気そうな少年に訊ねてみると、
花束を抱えた青年は屋根裏部屋まで上がったそうだ。
「本当だよあとを尾けたら25セント玉くれたもん。
 "今日は記念すべき日なんだ"って言ってたよ。
 おばさんあのお兄さんと離婚すんだろ!?
 おーいこのおばさん、あのお兄さんに文句あるんだってさ!」

屋根裏部屋のドアの前には花屋の包装紙とリボンが、
鬼ごっこの手掛かりのように捨ててあった。
ドアを開けても誰もいない。
壁紙は剥がれ、埃と蜘蛛の巣だらけで長いこと無人だとわかる。

彼女は何度もそこを訪れた。
出勤前にも、ひとりぼっちの夕食をとりに出掛ける前にも。
でも誰もいなかった。


681 本当にあった怖い名無し:2013/12/07(土) 13:52:04.12
結婚詐欺の話?

 

くじ (異色作家短篇集)
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