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644 名前:1/2 :2010/09/29(水) 20:34:07
太平洋戦争のとき、パラオのペリリュー島に日本軍が進駐し陣地が作られた。
その際、パラオの人達は日本兵と共にその作業に参加したことで
日本兵とパラオ人は仲良くなり、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
日本軍としては「島民を戦火に巻き込んではならない」という配慮から、
戦局を予期した日本軍司令部の命令により「すべての島民のパラオ本島への移住」をほぼ完了させ、
「一部に残った島民も、疎開させるために戦火の中をパラオ本島へ」と送り出したのだった。
しかし、パラオ人の代表数人が共に「自分達も一緒に戦わせて欲しい」と
日本の守備隊長のもとへ申し出た。
それを聞くなり日本兵隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか。
裏切られた想いで、パラオ人はみな悔し涙を流したという…
船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。
パラオ人達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし、船が島を離れた瞬間に日本兵全員が浜辺に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、パラオの人達は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。

645 名前:2/2 :2010/09/29(水) 20:36:21
戦いが終って島に戻った島民達は、日本兵の遺体を見て泣き崩れたという。
「アメリカ人は日本人の遺体には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理した。ここに征服民族の本性を見る」として
「島民はこぞって日本軍の遺体」を葬り、そして「日本の人達」がいつ来てもよいようにと
「その後も墓地の清掃」に心掛けた。

それから月日が経ち1995年10月1日、パラオでは「独立一周年」を祝う式典が催され
「世界の国家元首」が祝電を送る中、反日国家に土下座する「村山元首相」だけは
「親日国家」であるパラオを無視し、この日「世界各国の国旗」の中に「日の丸」の旗はなく、
パラオのクニオ・ナカムラ大統領は深い悲しみと怒りに手を振るわせたという。

先人達が命を賭けてまで守ったパラオの独立記念日なのに
戦後の日本政府は馬鹿ばかりで、後味悪い。
10月1日(明後日)がパラオ独立記念日なので、
一人の日本人として祝ってあげたいわ。


後味悪い
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