ホーム » その他 » 事件・事故 » 栃木実父殺し事件

87 名前:本当にあった怖い名無し :2010/11/14(日) 20:27:27
思い出した実話。後味悪いとは違うかもしれんが
うろ覚え。ぶっちゃけレイポネタは嫌いだから投下しようか迷った

ある女子中学生Aは家族と共に一つの部屋で寝ていた
Aが夜中に目を覚ますと、Aの体の上に父が馬乗りになっており、父はAに声を出すなと言った
隣に母や弟が寝ているにも関わらず、父はAをレイーポした
その日から、父は頻繁にAをレイーポするようになった
ある時、とうとう我慢できなくなったAは泣きながら母に相談した
怒った母は父を問いただすが、父は逆切れして包丁を取り出すと「一家を皆殺しにしてやる」と脅した
その後、母は何故か弟だけを連れて家を出て行ってしまい、Aは父親の下に取り残された
それ以来父は毎日昼夜を問わずAを犯すようになり、Aは父との間に5人ほどの子をもうけてしまう
Aは成人すると、父や子供たちの生活費を稼ぐために働かなくてはならなくなった
働き始めたAは父の下から逃げ出そうと考え、ある日荷物をまとめて逃亡を図った
しかし、それを父に察知されてしまい、父はAとの間に生まれた子供を殺すとAを脅した
Aは逃げ出せず、また同じような日々が続いた

Aが20代後半になった時、同僚の男性から告白され、Aもその男性と一緒になりたいと思うようになった
Aは思い悩んだ末、父に正直にその話をした。
娘が幸せになるのだから、もしかしたら喜んでくれるかもしれないと思った
しかし父は激昂し、包丁を取り出すと「その男はどこだ?殺してやる」と叫んで家の外に飛び出した
Aは泣きながら必死に父に追いすがり、「私はお父さんと一緒にいるからやめて」と懇願した
父は落ち着き、また元の生活に戻ったが、Aの心は以前以上に暗くなり、
父さえいなければ自分は男性と一緒に暮らせたのにと思い悩むようになる
ある日、父はAに何か暴言を吐いき(全く覚えてない)、Aはそれによって溜まりに溜まった怒りが爆発
Aは「お前が私の幸せを奪ったんだ」と父の首を紐で絞め、
父は死の間際に「お前に殺されるなら本望だ」と言った
Aはタイーホされた。おわり


88 名前:本当にあった怖い名無し :2010/11/14(日) 20:35:09
>>87
「栃木実父殺し」か。
尊属殺人罪にからんで社会科の教科書で有名なやつ。

90 名前:本当にあった怖い名無し :2010/11/14(日) 20:51:28
>>87
ええぇぇ 報われねえぇえ
父親はもちろんだけど母親も最悪すぎるわ、母親になったんだから最後まで子供守ってやれよ…

>>87ほどじゃないが、うろ覚えだが後味悪い話。(実話)

夫婦には一人娘がいた。
その娘が小学校5年か6年のころ、ふと夜目を覚ますと父親が馬乗りになっている。
口を塞がれていたのと、単純に父親が怖くて何もできずそのまま犯されてしまう。
その後も週に三度ほどのペースで父親は娘の部屋を訪れ、
娘にできるのは布団を被ってギリギリまで父親を遠ざけることだけだった。
母親は早いうちにそれに気付いていたものの、父親にもし暴力で返されたら…という不安と、
離婚すれば生活できなくなってしまう(主婦)ので何もしないまま一年二年とすぎた。

娘が中学校2年か3年になったころ、年頃だからというのと
勉強に集中しなきゃという理由をつけて、やっと母親は娘の部屋に鍵をつけてやった。
それで父親からの虐待はなんとか止まったものの、娘はもうすっかり男性不信になっていた。

その後娘が大人になってから夫婦は離婚、娘は就職し、母親はパートをしつつ二人で暮らし始める。
娘の男性不信は改善されず、二十代後半になっても彼氏一人作らないまま「私はお母さんと二人で暮らすからいいの」。


94 名前:本当にあった怖い名無し :2010/11/14(日) 21:02:13
それはもともとが、
「本来なら親殺しは死刑or無期のところを、
 情状酌量で執行猶予つきにまで減刑された日本で初めての例」
っていうことで有名になった事件。

95 名前:本当にあった怖い名無し :2010/11/14(日) 21:05:02
>>90
>母親も最悪すぎるわ、母親になったんだから最後まで子供守ってやれよ…

母親は、7人ほど居た子供のうち、その長女ともう一人の次女を残して
弟や妹5人ほどの下の子供達を連れて逃げてるはず。
当時(昭和30年頃)に女手一つで生活していくのは今よりずっと厳しかっただろうし、
家事ができない男親の家に幼児を残して行く訳にもいかず
下から5人連れて避難するのが精一杯の限度だったんじゃないかと思う。


96 名前:本当にあった怖い名無し :2010/11/14(日) 21:17:57
>>94
>本来なら親殺しは死刑or無期のところを、情状酌量で執行猶予つきにまで減刑された

ちょっと違う。
尊属殺人罪の法定刑は死刑or無期懲役で、そこから情状酌量で最大限の減刑をしても
2段階の減刑で懲役3年6ヶ月までしか下げられず、
執行猶予の適用可能条件が「3年以下」の場合に限られるため
「こんな本来なら実刑回避にすべき状況で執行猶予が付けられないのは違憲だ!」
ということで尊属殺人罪の量刑を破棄して懲役2年6ヶ月まで下げ、執行猶予を付けた。


97 名前:本当にあった怖い名無し :2010/11/14(日) 21:30:21
>>87
これは尊属殺人で、当時の憲法では死刑か無期しかなかったけど
あまりにも父親が鬼畜だったのと、事件を知って無報酬で
弁護を引き受けてくれた弁護士親子のお陰で
過剰防衛の傷害致死として、執行猶予付きの判決だね。

それにしても14歳から実父にレイプされ続けて15年間
5人の子を産まされ(うち二人は死産)他に5回の中絶
6回目は命の保証がないと医者に言われて
不妊手術をさせられた上に、子供を人質にされて逃げる事もままならず。

29歳で初めて恋人が出来て、プロポーズされた事を父親に言えば
嫉妬に狂った父親から軟禁状態にされ、結局は恋人にも去られた上に
仕事も辞めて、朝から焼酎をあおるようになった父親に
一日中監視されて、前にも増して日に何度も性交を強要されるようになる
毎日なんて、絶望以外の何物でもないだろうに
こんな事件が40年以上前とはいえ、執行猶予でも有罪とされるなんて
腹が立つよ。

でも、実父との間の子供3人は、この事件の後、どんな人生を歩んだのか
この子供達の行く末を考えると後味悪いね。


101 名前:本当にあった怖い名無し :2010/11/14(日) 21:46:10
育てられないなら施設に預けるなりなんなりの措置は取れたはず
なんも考えずポロポロ子供産むからそんな悲劇が起こる

106 名前:本当にあった怖い名無し :2010/11/14(日) 22:09:58
>>101
夫婦が結婚して上の子らが生まれてるのは戦前の「産めよ殖やせよ」時代で
7人兄弟なんて別に珍しくも何ともないわりと普通にある家族構成だし、
当時の孤児院の社会的位置付けを今の児童福祉施設と同列に考えることはできない。

母親をそこまで言うなら、長女本人だって
中学生くらいの当時はともかく、20歳も過ぎていい成人女性になった後の年齢なら
「鍵を掛けて監禁されていた訳でなし、父親が外出や睡眠で隙ができる時間帯もあるんだから
子供達を連れて逃げ出すなりなんなりの措置は取れたはず」という事になる。


108 名前:本当にあった怖い名無し :2010/11/14(日) 22:24:10
>>106
中学生の頃から犯かされて子供産み続けて、そういう思考にいきつけなかったんじゃないかな
ストレス受け続けてるとまともな思考ってできないことが多いし
働き出すとか、好きな人ができるとかそういうきっかけがないと

113 名前:本当にあった怖い名無し :2010/11/14(日) 22:33:32
確か母親は逃げた後一回戻ってきたんだよ
で、父親のこと監視しながらまた一緒に暮らし始めたんだけど
直後に長女が最初の駆け落ち騒動を起こして、キレた父親は追いかけた挙句相手の男を怒鳴りつけて別れさせた
しかもそのまま家には戻らず二人暮しが始まって、さらには妊娠まで発覚したもんだから
最終的に長女本人も逃げる気が無くなってしまったらしい
子供が生まれたあとは、その子たちも人質になってたみたいだし

 

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