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870 名前:1/4 :2012/01/11(水) 20:41:28.34
胸糞

伊勢崎市同居女性餓死事件
2001年11月12日夕刻、群馬県伊勢崎市消防署に119番通報があった。
「女房が死んでるみたいなんだが、来てくれないか」
受話器の向こうの声は落ち着きはらっていた。

救急隊員が現場である金井家に駆けつけてみると、
問題の遺体は仰向けに寝かされ、毛布がかけられている。
隊員が毛布をはぐと、通報者が「妻」と言ったその遺体は異様なほど痩せこけていた。
のちに司法解剖により、彼女は158センチの背丈に対して26キロの体重しかなかったことがわかる。

おまけに死因は餓死であった。
彼女は長期にわたって家族に食事を与えられず、じわじわと死んだのである。
「未必の故意」による殺人容疑で逮捕されたのは、
被害者の内縁の夫、金井幸夫(37歳)と、その両親と姉の4人。

彼らは被害者が死ぬであろうことを知りながら、何の手だてを講じることもなく放置したのだった。
金井幸夫は1964年に生まれた。きょうだいは年子の姉と2歳下の妹がいる。
親子5人は市営住宅に住まいをかまえており、入居当時はごく平凡な家族のようであったという。
だが金井の両親にはこれといった定職はなかった。

難聴気味の父親は工員や左官などをしていたが、
どこも長続きしない上に競輪好きで家に入れる金はほとんどない。
母親も工場にパートで出ていたが、すぐ辞めてしまっている。
この母親の幸夫に対する躾は一貫しないもので、「長男だから」とべたべたに甘やかす反面、
近所にも幸夫の泣き声が響きわたるほどの虐待もはたらいていたらしい。

甘やかされながら突き放される、という不安定な躾を受けた幸夫は、内気で人見知りのする子供に育った。
しかし自分より弱い者を探すのには聡く、小さい子をいじめながらこき使うような真似もしていたという。
そんな彼は「普通学級で勉強についていくには難あり。
家庭環境も恵まれず勉強できる環境にない」という学校側の判断で、特殊学級に配置される。


871 名前:2/4 :2012/01/11(水) 20:42:08.59
そこでクラスメイトとして出会ったのが、本事件の被害者である長谷川三根子であった。
幸夫も三根子も勉強についていけないという程度で、外見的にはさして普通学級の生徒と変わらなかった。
それが彼らをクラスの中で結びつけたのかどうかはわからないが、
幸夫は卒業後もときおり三根子に連絡をとっていた。
しかし幸夫は学校に真面目に通っていたわけではなく、不登校気味であった。
それは年々ひどくなり、母や姉に暴力をふるうようにもなっていく。

幸夫の怒声と女たちの悲鳴はたびたび町内の空気を震わせた。
ことに幸夫が思春期にさしかかるにつれ、
姉に対する暴力は身体的なものばかりではなく性的なものへ移行していったらしい。
姉が「やだよ」「死んじゃう」「痛いよ」と泣き叫ぶ悲痛な声を、当時近隣の何人もが聞いている。

その泣き声は最初、幸夫と姉がふたりきりで家にいるときにだけ聞こえた。
だがそのうちに幸夫の友人数人が家に上がりこんでいるときも聞こえるようになった。
通りに面した窓からは仰向けに倒された姉と、
そのまわりに下半身裸の少年たちが居並ぶさまが丸見えだったという。
それが終わるまで家には鍵がかけられているのだが、
家の中で娘が息子とその友達に犯されていることを知りながら、両親は庭でつくねんと待っているのだった。

幸夫は周囲の人間から金を借りまくり、
「返せないから姉ちゃんの体で払う」と言っては誰彼かまわず家に引き込んでいた。
両親は体格で勝る幸夫をもう抑えることができず、暴力で支配されるがままであった。

ついに姉は精神をわずらい、精神病院へ入院。
以後、これで手に入れた姉の障害者手帳が一家の大きな収入源となる。
三根子は24歳で結婚し、女児をもうけ幸せな結婚生活を送っていた。
夫は彼女の知能がやや低いことなど気にしていなかったし、何よりその素直な性格を愛していたようだ。

しかし彼女は幸夫に「家を出てこい」と言われ、1993年と1998年に2度家出をしている。
1度目は両親や夫の手によって連れ戻されたが、2度目は無事帰宅することはかなわなかった。
彼女自身が餓死したからである。なぜ彼女が幸福な家庭を捨て、
幸夫のもとへ行ってしまったかについて正確なことはもうわからない。


872 名前:3/4 :2012/01/11(水) 20:43:11.56
ともかく、彼女は金井家にやって来た。
しかし一家にとって三根子は「異物」でしかなく、皮肉なことにそれまでずっとばらばらだった金井家は、
彼女を虐待することによって初めてひとつに結びついた。
主に暴力をふるっていたのは、幸夫と姉である。
食事は最初は朝夕の1日2食だったが、そのうち1食になった。

さらに2年目には2、3日に一回となり、三根子はみるみる衰弱していく。
がそんな彼女の目の前で一家は平然と自分たちの食事をとった。
幸夫に長い間虐げられてきた母と姉は、鬱憤ばらしの手頃な標的を見つけたようなものだった。

しかも暴力が三根子に向いている間は、自分は殴られずに済む。
はじめのうち残飯をあさって餓えをしのいでいた三根子だったが、
やがて足腰も立たなくなり一日中放心しているだけになった。
このままでは死んでしまうことは誰の目にも明らかだったが、こうなっては実家に帰すわけにもいかない。

警察沙汰にならぬよう一家はさらに結託し、三根子を監視した。
三根子は体力の限界になる直前2度脱走しているが、いずれも捕まって連れ戻されている。
「みんなが御飯をくれない。叩かれて怖いよ、痛いよ。おうちに帰りたい」
骨と皮ばかりの姿になって細い声で泣く三根子を、一家は黙殺した。


873 名前:4/4 :2012/01/11(水) 20:43:43.56
2001年11月に入ると、一家は彼女の死がいよいよ近いことを知り、
幸夫の父は仕事を休んで三根子の様子をみる。と言っても看病するとか食事を与えたとかいうわけではない。
ただいつ死ぬかと観察していただけである。

ある日、気まぐれに幸夫が食べ残しの飯を三根子に与えると、
受け取ろうと出したその手を姉がぴしゃりと叩いた。
床に落ちた米粒を三根子は急いで口に入れたが、
衰弱しきっていた彼女の喉も胃もすでに固形物を受けつけなかった。

11月10日の朝、三根子はすでに冷たくなっていた。
その後2日と半日経ってようやく、幸夫は119番通報している。9番通報している。
逮捕後も金井一家はほとんど悪びれることなく、
「ほっといたら死んでしまった」、「世話してただけだよ」と供述している。

事実彼らは本気でそう思っており、三根子に対して何らひどいことをした意識はないようだった。
骸骨に皮がはりつき、ミイラのように干からびた三根子の遺体を見て、
彼女を捜しつづけていた両親と夫は愕然とした。
「どんな姿になってもいいから、生きて帰してくれればそれでよかったのに」
夫は肩を落としてそう呟いたが、もう詮無いことであった。
三根子は最後まで娘を捜しつづけたものの、志なかばで亡くなった父の墓石の隣に埋葬された。


969 名前:本当にあった怖い名無し :2012/01/17(火) 00:23:34.67
>>871近所の奴、姉の悲鳴聞こえてたならその時点で通報しろよ…

 

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