ホーム » スレ別 » 後味の悪い話 その134 » 最上義光

904 名前:1/2 :2012/11/01(木) 08:23:07.06
戦国時代に起きた後味悪い話
奥州統一を目指す甥の伊達政宗と争い、謀略に優れ家族への愛も深いと言われた最上義光
彼には東国一の美女と言われた駒姫という娘がいた、最上義光は駒姫をとても可愛がっていたが
時の関白(ほぼ最高権力者と言える)であった豊臣秀次に見初められ、側室にと要求されてしまう
最上はこれを渋ったが、豊臣に逆らうことが出来ずに駒姫を差し出すことになる。

だが駒姫が大阪に向かう中で「秀次事件」が起きる。
豊臣秀次が太閣豊臣秀吉に謀反を起こそうとしたとして切腹させられたのだ
これに対する処罰はあまりに重く、秀次の子供を含む家族(ほぼ全員だが一部は生き延びた)の他に
側室、侍女ですら秀次に近しかったものは全て処刑された上に遺体は全て同じ場所に捨てられ埋め立てられた
これは当時としても異例中の異例といえるあまりに非道な仕打ちだった


906 名前:2/2 :2012/11/01(木) 08:27:28.73
そんなことも知らない駒姫は大阪に入る
駒姫は側室になるために大阪に来たがまだ正式には結婚していなかった
しかし他の側室と同様とみなされ処刑されることになってしまう。

これを知った最上は豊臣家への絶対の忠誠を誓う血判状を差し出してまでも娘の命を救おうとし
他の大名からも助命嘆願が寄せられる
秀吉もさすがにこれはやりすぎと思ったのか処刑中止を命令したが時既に遅く
駒姫は何の咎もない身でありながら15歳でその命を散らす
そして他の者達同様に遺体をまとめて埋め立てられてしまう。
最上は愛する娘の遺体を引き取ることすら出来なかった

さらにこの14日の後に最上の駒姫の母である正室も後を追うように亡くなる
最上は「これも全て前世の行いの報いなのであろう、受け入れるしかない」と漏らし悲嘆したという

晩年の秀吉のアレな行為の犠牲者達のエピソードの一つ
ちなみにこの事件で酷い目にあった大名は軒並み関ヶ原の戦いで徳川側に付いている


907 名前:本当にあった怖い名無し :2012/11/01(木) 14:01:25.30
可哀想だけど一応因果応報で秀吉が滅びたから良かったのかもな
義光「自分の因果だ」と素直に受け入れたんだから来世では家族仲良く暮らせているといいね…

908 名前:本当にあった怖い名無し :2012/11/01(木) 14:03:52.77
>>906
904を読んだ時点で、嫌な予感しまくり。
話の分け方上手いねぇ。

最上義光といえば、智将で知られているのに
「戦国BASARA」での扱いがヒドくて泣けた。
ついでに、名前を読み間違えられる率も高い。


909 名前:本当にあった怖い名無し :2012/11/01(木) 15:11:40.42
さ…最上義光…

912 名前:本当にあった怖い名無し :2012/11/01(木) 17:26:40.45
今の今までよしみつかと思ってたわ
地元の殿様なのに

913 名前:本当にあった怖い名無し :2012/11/01(木) 18:15:22.61
>>906
電話も無線も無い時代だから、処刑中止の伝達も時間がかかっただろうしねぇ。
誤解だと気付くが手遅れ…みたいな話はやるせない気持ちになる

916 名前:本当にあった怖い名無し :2012/11/01(木) 21:07:14.69
アンサイクロペディアの最上義光の項は
悲しいやら可笑しいやら

917 名前:本当にあった怖い名無し :2012/11/01(木) 21:10:23.68
ちなみに最上家は最上義光の死の数年前に嫡男義康が謀殺されて
最上義光の死後、家督相続で色々揉めて結局江戸幕府から改易処分を喰らって大名取消になってる
家名の存続は許されて現代まで子孫は生き残っているみたいだけど

後味悪い
(後味悪ければクリック)
読み込み中 ... 読み込み中 ...