幸福堂（上野すばる）

母を亡くし父子家庭で育ったお金持ちの主人公は、父が仕事仕事でかまってくれないため、
こんな時に母さえいてくれれば良かったのにと思いながら沈んだ日々をすごしていた。
昼にはいつも、使用人のつくったお弁当を一人で黙々と食べている。
クラスメートたちは主人公を気にかけているのだが、話しかけられても主人公はツンツンとした態度。
生活水準は一般的でも、ちゃんと父母がいて家族仲のいいクラスメートたちには自分の気持ちなどわからない、
そんな能天気な幸せを享受している人とは関わりたくないと思いつつ、
「ツンツンしてる自分ごと受け入れてほしい」と矛盾した気持ちを抱えていた。
主人公はクラスメートのイケメンに恋をしていたが、彼にもやはりツンツンしてしまう。
イケメンには幼馴染の少女がいて、彼女と仲睦まじくしている姿によく嫉妬していた。
その少女は、主人公とは正反対に明るく活発で友達がたくさんおり、
ツンツンし続ける主人公にめげずに毎日話しかけてくる唯一の存在だった。
でも主人公は嫉妬から、少女には他の人に対するよりもキツい態度をとっていた。
いつも孤立している自分を見下している偽善者だと決めつけ、
クラスメートに素直に接せられないのを
「あんな奴と仲良くしてる人たちなんて…」と少女のせいにしていた。

一人で下校していた主人公は、いつもの道で見慣れぬ店を見つけた。
その店の店主は不思議な青年で、何故か主人公は普段から抱えている孤独感などをすらすらと語ってしまった。
青年は話を聞き終えると「愛のナイフ」を主人公に渡した。
このナイフで誰かを切りつければ、血ではなく愛があふれでるのだという。
試しに父を切りつける主人公。手ごたえはあったのに血は出ず、父はいきなり、
今まで仕事ばかり優先していたことを謝り、次の休みの日に二人で遊びに行こうと言いだした。
このナイフはなんて素敵なアイテムなんだ、父が優しくしてくれるなんて、少女は喜びで泣いた。
父と楽しく外出した日、少女がスーパーの袋をぶら下げて歩いているのを見かけた。
母のお使いで出たのだろう、帰ってから父母と楽しい時間をすごすのだろうと想像して、
母のいる少女へ主人公は嫉妬した。

一人きりになってしまった少女は、
みんなの態度の変化はおかしい、一体なにをしたのだと少女を問い詰める。
少女をﾌﾟｷﾞｬｰする主人公。イケメンと友達たちを返してと少女は泣き出し、
更に挑発的な言動を取る主人公に憤り、主人公の腕をカッターで刺した。
愛のナイフとは違い、まぎれもなく血をしたたらせる主人公。
その現場に先生が駆けつけ、大きな問題になった。

少女は他の学校へ転校することとなった。また、親戚に引き取られることにもなったという。
そのことを先生から聞いた主人公は、親がいるのにどうして親戚の家に行くのかとたずねる。
実は少女は母親を亡くしていた。父親は実質、家の外に他の家族を持っているような状態にあり、
少女はほとんど一人暮らし状態で、今より幼いころから家事もなにもかも一人で行っていた。
良い家族に恵まれなかった少女は、だからこそ学校では楽しくすごさなければと、
何事にも積極的に行動し友達をたくさんつくり、なんの陰りも感じさせないほど明るくふるまっていた。
だが、気丈にふるまっていてもやはり辛い時もあり、
家庭の事情を知っているイケメンがそんな時は支えていたのだという。
噴出した鬱憤を無差別にぶつけてしまったのかもしれない、そう先生は語るが、
主人公はそうではないことを知っていた。

少女が引っ越す日、主人公は謝罪するために少女の家に駆け付けた。
だが、振り向いた少女の顔には以前の陽気さは微塵もなく、その心は完全に壊れてしまっていた。
去っていく少女を見ながら、主人公は泣いた。