水底の祭り(皆川博子)

260 名前:1/3 :2010/09/15(水) 08:52:55
昔読んだ小説。内容はわりと細かく覚えてるわりにタイトルとか忘れてる…。

1970年代くらいの東京。主人公は、歌舞伎町辺りの小さなバーのバーテン(女性)。
店は30歳くらいのママ(A)が運営しているが、癇癪持ちなため主人公は距離を置いている。
また、店の出資者はそのママの叔父(B)。40代のナイスミドルで、よく店にも来る。
主人公はBに惚れており、Bが自分を憎からず想ってくれていることも察しているが、
Bとその姪であるAとの間に余人にはうかがい知れぬ様な繋がりを感じ、踏み込めずにいる。

そんなある日、主人公は東北の湖から水死体が上がったという新聞記事を目にする。
死体は、水底で死蝋化していたのが何かの弾みで浮かび上がってきたのだという。
そのことを開店前の店内で何気なく話題にすると、途端にAとBの顔色が変わった。
とりわけAは酷かった。癇癪を起こし、開店と同時に入ってきた常連客を追い返してしまう勢い。
主人公はそれを遠巻きに見ていたが、Aを抱きしめるようにしてなだめるBの姿に嫉妬を覚え、
またAの狂乱ぶりにあてられたこともあって、自らもBにすがりついて告白してしまう。
Bは主人公を抱きしめようとしたが、寸でで動きを止める。
そしてAをタクシーに乗せて帰宅させると、自身も主人公を置いて帰っていく。
だが、Bが自分に応えてくれようとしていたことを見て取っていた主人公は諦めきれず、
Bの自宅まで追いかけてしまう。そして驚くBに再び縋りつき、言い募る。
「湖の話をした時の二人の驚き方は普通じゃなかった。もしかして二人は過去に
 人を殺して湖に沈めたのではないか。だけど、もしそうだとしても自分はそれを
 言いふらすつもりはない。ただそれが二人だけの秘密ならば、自分もそこに加えてほしい」
Bは激しく逡巡するが、やがて何かを決心した様子になり、突然自宅前に停めていた車に乗り込む。
そして主人公を助手席に乗せ、告げる。「これからあの湖に行く」と。

湖への道のりは長い。6-7時間はかかる。その車中でBは主人公に、Aにまつわる過去を語った。


261 名前:2/3 :2010/09/15(水) 08:55:18
少年時代、戦争末期の頃。Bには淡い思いを抱く姉がいた。
姉弟の親は町の名士。戦時下であっても、生活には不自由していなかった。
しかし、いつしか町では姉についての不穏な噂が流れていた。
町の片隅にある敵国民の労働現場。そこの労働者の一人と姉が密会しているというのだ。
労働者といっても実体は捕虜以外の何者でもない。そんな者と名士の娘が通じるなどと。
町民が激しく批判する一方で、純粋だったBは姉の密通を信じられずにいた。
だが姉の腹が膨らみ始めたことで、噂が事実であったことが露見する。
姉の思い人であった捕虜は私刑に遭い絶命。姉は親の命により屋敷の離れに隔離される。

そんな事件の少しのち、戦争が終結する。日本が負けたのだ。
強制労働させられていた捕虜達は解放されて町へなだれ込み、仕返しとばかりに其処彼処で狼藉を尽くす。
だが、Bの屋敷へだけは踏み込んでこなかった。
そこに、自分たちのかつての仲間の恋人が住んでいることを知っていたからだ。
しかし、その屋敷だけが被害を免れたことで、かえってBの一族は立場を悪くする。
名士であった親は失脚し、略奪に遭い、瞬く間に食べるものにも困窮するようになった。
それもこれもあの娘のせいだと、Bの姉に怒りの矛先は向く。
そんなさなか、とうとう姉は女児を出産するが、無論家人の目は冷たい。
姉は懸命に娘を育てようとするが、食うにも困る状況のためろくに乳も出ない。
やがて彼女は、乳を分け与えてもらうために近隣の女親達を訪ね歩くようになった。
だが、それら女親の中には、先の騒動で敵国捕虜達に暴行された者も多い。
そんな連中との間の子に乳を分け与えるものなど、皆無に等しかった。
追い詰められた姉は、とうとう自らの身体を男達に差し出し、代わりとして山羊の乳を貰うようになる。
山羊の乳の入ったバケツ片手に、乱れた服を調えもせず、狂人の趣で町を歩く姉の姿が目撃されるようになる。
Bは姉を救いたいと思う。だが親は最早姉を見捨てている。憎んでさえいる。そして自分は非力な子供だ。


262 名前:3/3 :2010/09/15(水) 08:57:17
どうすることも出来ずにいたBは、ある日、町の外れの湖のほとりに姉が佇んでいる場面に出くわす。
娘を抱き、一切が無言の姿。Bはその瞬間総毛立った。心中という言葉が頭を過ぎる。
もしや、山羊乳のために男達に身を差し出す日々に耐え切れなくなったのか。
Bはとにかく自殺を思いとどまらせようと駆け寄る。姉が足音に気付き振り向く。目線が絡まる。
しかし、姉の目にあったのは哀しみの色ではなかった。平坦で虚ろな目。
しかし虚ろではあっても、そこに死の気配はない。姉には死ぬ気などなかったのだ。
だが、それがかえって自分には耐え難いことだとBは気付く。
あの慎ましく優しかった姉。貞淑だった姉が、男達に身体を売ることに痛痒を感じていないなどと。
無意識に近い行動だった。だがBは押し留まれなかった。気付けば彼は、姉を湖に向けて突き飛ばしていた。
水面に落ちる一瞬。何を思ったか、姉は娘をBに向け放り投げた。咄嗟に抱きとめるB。
姉はそれを見届けると、最後まで無言のまま湖の中へ沈んでいった。

その時の娘がAなんだ。車中で、Bは主人公にそう語る。
聞けば、忌み子ということで、その後A自身も激しい迫害に遭ったという。
癇癪はそうした境遇の中で発症したのだとも。

主人公は最早何も言えなかった。会話の途絶えた車は、やがて目的地である湖に到着する。
車外には霧が満ちていた。空気は冴え冴えと冷たい。
Bの様子に呑まれていた主人公だが、ここに来てようやく、Bに湖を訪れた理由を尋ねた。
Bは答える。勿論、新聞にあった水死体が姉のものである確率は低いだろう。
この湖には死体を水底に留めるような溝があると言われている。
昔からここに沈んだ死体は上がらないんだ。そして多くは死蝋化している、なんて話もある。


263 名前:4/3 :2010/09/15(水) 08:59:40
ごめん、入りきらなかった

主人公は、水底で蝋化した死体達が踊るように漂う様を思い描き、眩暈を覚える。
その時、不意に足音が響いて主人公は我に返った。Bは予想していたようで驚かない。
現れたのはAだった。Bは、やっぱり来たのか、と呟く。寄り添う二人を、主人公はただ眺める。
Bはおもむろに自身の上着をめくり、腹を晒した。車のライトに照らし出される刺し傷。
似たようなものがAの腹にもある、とBは言う。
BはAの母親を殺した。AはBの姉の不義の子。
長い二人だけの生活の中で、互いを心から憎み殺そうとしたこともあるのだと。

慄然とする主人公。風が強く吹きつけた。霧が視界を覆う。
その途絶えた一瞬に、主人公は目の前に並ぶ二人が炎に包まれた幻影を見る──。

以上。最後、AとBは死んだんだろうけど、はっきりとは明記されていませんでした。
とにかく誰の視点に立っても陰鬱で、ずーんと淀んだ気持ちになったことを覚えています。

補足すると、主人公は学生時代に映画制作をやっていて、一度だけ関係を持ったことがある
俳優の1人が撮影中の事故で死ぬ瞬間を目の当たりにした、という過去があります。
バイクの事故で、詳細は忘れたけど走行したままエンジンから引火した火に包まれてたはず。
その火に包まれた末の死のイメージが、ラストのシーンの幻影と重なっている感じでした。


268 名前:本当にあった怖い名無し :2010/09/15(水) 14:13:59
>>260
皆川博子 水底の祭りだね。
この人の作品はいい意味で後味悪い作品が多いからオススメ。
文章もしっかりしてるし。

280 名前:260 :2010/09/15(水) 23:08:09
>>268
そうですそうです、皆川博子さんでした。
有難う、色々思い出せました。
そして物置漁ったら短編集の「悦楽園」が出てきたので今読んでますw
ふしぎ文学館レーベルの本はこのスレに合う題材が多そう…。

 

悦楽園 (ふしぎ文学館)
悦楽園 (ふしぎ文学館)
皆川博子作品精華 迷宮ミステリー編
皆川博子作品精華 迷宮ミステリー編
水底の祭り (文春文庫)
水底の祭り (文春文庫)