あなたに捧げるブルース(阿刀田高)

846 名前:1/3 :2012/12/05(水) 14:28:48.85
阿刀田高「あなたに捧げるブルース」

あなたは31才。どこにでもいるような平凡なサラリーマン。
ことの起こりは背広のポケットの底にあいた小さな穴。
人生はどこにどんな運命の岐路があるかわからない。

休日の11時過ぎにあなたはあたふたと布団から飛び出し、
仕事の打ち合わせに指定された喫茶店に向かった。
しかし約束の時間を10分過ぎたのに相手は来ない。
あなたはウェイトレスのスカートの下の肌を想像し、
とたんに昨夜のことを思い出した。

あなたは内気な質だが、その時はなぜか気軽に声をかけられた。
山形紀子という終電を逃した女をナンパしホテルでセクロス。
朝女より先にホテルを出たのだ。

30分経っても待ち合わせ相手は来ない。
(早く帰ってプロ野球が観たい!遅れたら巨人が負ける!
タクシーを使って帰ろう)

約束の時間を40分過ぎて、相手がやって来た。
話は簡単に済み、アナタは尿意を催す。
待ってる間に水を飲みすぎたせいだろう。
トイレのほうに足を踏み出した
その途端に、ポケットの穴から百円玉がひとつ転げ落ちた。
それを拾っているわずかな時間のうちに、他の客がトイレに入ってしまった。


847 名前:2/3 :2012/12/05(水) 14:30:35.31
相手とは店の前で別れたが、尿意はおさまらない。
タクシーにのったら途中で困るだろう。
突如方針が変更となり、アナタは駅の構内に向かった。
トイレで用をすましたとき、上り電車が入ってきて
アナタは咄嗟に階段を駆け上り、駆け降りる。
アナタは座席に腰掛けると、車両の両端から三人ずつ
車掌が入ってきて検札を始めた。
小田急の切符のまま、国鉄線へ乗り換えてしまったのは
野球のことを考えて放心気味だったからだろう。
アナタは財布をアパートに忘れたと気付く。
ポケットの小銭ばかり使っていて
気付かなかったのだ。
切符もなければ金もない。
そのくせ区間外の定期だけは持っている。
となるとキセルを疑われても仕方がない。
ズボンのポケットを確かめようと
腰を動かしたとき、何かが尻に触れた。
ズボンと座席の間に赤い小さな財布。
アナタは左右を見回し、財布を取り上げた。

「すみません、新宿で小田急の切符でそのまま…」

「スリです。あの、スリです」

隣の婦人が、突如大きな声を上げ
狼狽えてバッグやポケットを探りだした。
色めき立つ検札係。
アナタの向かいに座った中年の女が
アナタを指差し車掌に何か言っている。
車掌がアナタの手首を握って開かせた。
赤い財布が現れた。


848 名前:3/3 :2012/12/05(水) 14:31:26.16
事務所に連れられ、そこに運悪く鉄道公安官より先に
本職の刑事が部屋に入ってきた。
署へ連行される途中、隣に止まったタクシーから野球の実況が聞こえる。
どうやら巨人は勝ってるらしい。

取り調べの途中で刑事の数が増え
ラブホでのホステス殺害の容疑をかけられる。
自分はホステスではなく山形紀子といたと訴えるアナタ。
結局留置場に泊められることになった。

そうだ、背広のポケットの穴がいけなかったんだ…
百円玉が溢れ落ちさえしなければ
先にトイレに入られやしなかった。
あの店で放尿できていれば
予定通りタクシーに乗って帰れたのに。
キセル、スリ、殺人容疑、事態はどんどん悪くなる。
運命の分岐点は何処にあるかわからない。

山形紀子はアナタと一夜過ごしたことを証言してくれた。

釈放されたあとお礼に行ったのが縁で
セフレに。
彼女が妊娠してしぶしぶ結婚。
そして三年。
一緒に暮らしてみると紀子は性悪で
貪欲で、わがままで、物臭で、怒りっぽくて
頭が悪い。
どんなに贔屓目でみても、よい女房とは言い難い。

物ぐさ女房が針を持ってくれるはずもなく
背広のポケットには今なお
恨めしく穴が残っている。


849 名前:本当にあった怖い名無し :2012/12/05(水) 18:11:55.18
>>848
自分で縫え

851 名前:本当にあった怖い名無し :2012/12/05(水) 18:14:49.05
財布はどう考えてもこいつの落ち度

 

コーヒー・ブレイク11夜 (文春文庫 (278‐5))
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