ロベルト・エンケ
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141:本当にあった怖い名無し:2012/12/13(木) 19:49:58.43
- 元ドイツ代表GKロベルト・エンケの話もこのスレにはぴったりだと思う
ポルトガルリーグ、当時混乱のさなかにあったベンフィカで活躍したことが認められ、02年に満を持して名門FCバルセロナに移籍を果たしたエンケ。
しかしここでは完全に控え止まりで、まともにプレーできたのは国内カップ戦、3部リーグのノベルダ戦だけだった。
この試合で、極度のプレッシャーから何てことのないシュートを3本も決められて敗戦、戦犯として非難されてしまう。
これが、彼を苦しめ続けたうつ病の引き金となった。翌年、出場機会を求めてトルコのフェネルバフチェに移籍するが、結局、ここでも試合に出られたのは1試合のみで,再び大敗。
ファンは試合中にライターや瓶などを投げつけ、敗戦の責任を押しつけた。
その後、ブンデスリーガのハノーファー96というクラブに移籍。ここでようやく正GKの座を獲得し、最優秀GKに選ばれる。
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142:本当にあった怖い名無し:2012/12/13(木) 19:51:31.90
- しかし06年に最大の悲劇が訪れる。先天的な心臓疾患を抱えて生まれた娘のララちゃんがわずか2歳でこの世を去ったのだ。
それでもなお、ピッチに立ち続けるエンケの姿を見て、誰もがプロの鑑だと称賛した。
だが、簡単に割り切れるはずなどなかった。娘の死をきっかけに、うつ病はますます悪化していった。
09年5月には生後2か月のレイラちゃんを養子に迎えたが、皮肉にもこのことが更に彼を苦しめてしまう。
「自分がうつ病だとバレたら、また娘を失ってしまうのではないか」と…
事実、彼がうつ病であることを知っている者は妻と代理人、担当医のみだった。
その年の11月10日、エンケは家族に「じゃあね、6時半ごろには戻るから」と告げ、家を出た。
エンケは練習所に現れず、家に戻ってくることもなかった。
彼はブレーメン発の特急列車の前に身を投げ出したのだ。その場所は、娘の墓から200メートルしか離れていなかった…バルセロナに来たとき、子供がなかなか出来なかったので捨てられた犬をたくさん拾ってきたという。
「犬たちが自分たちの子供なんだ」と。それだけに、やっと出来た娘をなくした心中を察すると…
ただでさえつらい話なのに、彼の死後奥さんが気丈に振舞っていたのが余計悲しい…
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143 :本当にあった怖い名無し:2012/12/13(木) 21:36:00.60
- 戦犯言っときゃいいと思ってるクソサカオタどもが生きてる事自体が後味悪いわ