生徒にこびない自分

930 名前:1/3 投稿日:2006/01/20(金) 20:10:16
教師といえば中学の時にDQNな教師がいたなあ。
暴力的で気分屋で怒らない怒鳴らない日はなくて、
クラスの全員に嫌われていた担任だった。
毎日怖くて学校行くのがいやで仕方なかった。

あるとき何を思ったのか「私(担任)の誕生日を祝って何かしましょう」
とか言い出した。多分みんな「ハア?」とか思ってただろうけど口には出さなかった。
そのあと誕生会は行われなかった。
その理由を担任聞いたら
(良くきけたな私も)「まあ、いいじゃねんか」と濁された。
本人はさすがにアレな発言したと後悔したのかもしれない。
自分の誕生会を学校の生徒にさせるなんて発想は悲しくて笑える。
そしてそれを自ら引っ込めたところにも哀愁を感じる。
文部省のエライがくるときや運動会では、自分の教師としての格を認めてもらいたくて怒ったりわめいたり
実現不可能な高い目標を設定したりして自分の生徒をなんとか思い通りに動かそうと必死だった。
もちろん結果は散々。そのたびに怒られた。そして奴は嫌われ孤立し、
そのことでまた腹を立て、わめき、机を蹴飛ばし、生徒たちを泣かせ、謝らせた。


931 名前:2/3 投稿日:2006/01/20(金) 20:10:47
高校受験のときは、生徒以上に受験戦争に煮詰まっていた。
生徒を良い学校に入れようという無茶なことはしない代わりに
ランクを下げてでも確実に入れる高校を選ばせようとしていた。
それはいいのだが、(もちろん高圧的で生徒の自主性など頭から無視していたが)
あるときに詰まって気がふれたのか気に入らない生徒をわけのわからない理由で怒り、
その生徒の受験票をクラスメイトの前でわざわざ破り捨てた。
破られた人の中には「またもらいに行けば良い」とけろりとしてしている人もいたが、
自分はこの教師は自分のしていることがわかっているんだろうかと恐ろしくなった。
生徒に嫌われることばかりししているやつだった。
そしてその態度を「生徒にこびない自分」と勘違いしてもいた。

そのくせ年賀状などは生徒全員に毎年出していた。
返す人はどれくらいいたかわからないのだが 自分は返さなかったことで怒られるのが怖くて
気分が悪くなりそうになりながら必死で書いて出していた記憶がある。

そんな教師と中学の間三年間ずっといっしょだった。
そして卒業のとき、その教師も同時に地元北海道の養護学校に転勤することになった。
中学校の先生でいたのは自分たちと過ごした三年間だけだった。
「あたしらだけ損したじゃん」
クラスメイトの素直な感想だった。
自分も全く同じように感じた。


932 名前:3/3 投稿日:2006/01/20(金) 20:11:54
そして卒業式がおわり、父兄らとともに
教室でのHRのとき、こいつは教壇の上でせいとたちにむかってやおら頭を下げた。
「お母さん方。生徒に暴力ふるってすみませんでした。
 法律ではそういうことをしてはいけないと決められていたはずですが
 実際には私は暴力を振るってしまいました。このとおりです。
 すみません。」

さてどこからつっこもうか、と自分は思った。
誤るくらいなら最初からするな。
誤るなら父兄でなく生徒に謝れ。
最後に誤るなんて卑怯じゃないのか?
いまさら悔い改めるつもりなんてないんだろ?
もう一年あったなら、どうせ同じこと繰り返すんだろ?
自分らを思い通りにしようとして、できなくて
なんで思い通りにならねえんだ殺すぞ
とかいうんだろ?


935 名前:(長すぎですまん)  投稿日:2006/01/20(金) 20:14:54
その後、養護学校の先生になったそいつから
はがきが届いた。良く覚えていないが親しげな文章が書いてあった。
返事が欲しいようなことも書いてあった。

もちろん返事は出していない。
が、今ではその教師に対して、にくいというよりは
気の毒とか気持ち悪いとか、そういう感情をもっている。
生徒たちとどういう関係をきづきたかったのか。
高すぎる理想のせいで自分も生徒も削りまくって
結局何も手に入れなかったし手に入れさせもしなかった。
教師として気の毒で、人間的に気持ちの悪い奴だった。

今でも思い出すたびにあのときのいやな気分。

自分の教師に関する後味のよろしくなさ最上級の思い出だ。

アサーリかいてるつもりがながくなってスマソ


936 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2006/01/20(金) 20:22:36
かなり後味わるい体験をしたな。しかも思春期真っ只中に。
転任先の養護学校ではどんな虐待まがいを繰り返してるんだろうと思うとゾッとするな。