ホーム » 小説 » 小説/な行 » 二十九号の寝台(モーパッサン)

925 名前:1/5 :2009/11/05(木) 10:34:34
モーパッサン『二十九号の寝台』より

ルーアンの町に駐屯して来たエビヴァン大尉は美男子だった。
町の女たちの話題は彼のことで持ちきりになり、
やがて、誰が彼を「おとす」かで闘争というか競争みたいなのが起った。
彼を射止めたのは、町の豪商の愛人と噂されるイルマという美女であった。
そんな折、普仏戦争が始まった。彼の連隊は第一線に投入されることが決まった。二人は別離をたいそう悲しんだ。
「イルマ、ぼくのかわいいイルマ、仕方が無いんだ、泣かないでくれ」と彼は彼女を宥め、
彼女も彼の出兵の際には最初の宿営地まで馬車で附いて行き、
いざ別れの段になると全連隊の将兵の前で接吻したのだった。

彼の連隊は戦争中さんざんな目にあった。その間にあって、彼は勇敢に働いたので、ついに十字形勲章をもらった。
が、やがて彼のフランス軍の敗北により戦争は終り、ルーアンに駐屯すべくもどった。
帰還するとさっそくイルマの消息をたずねたが、誰に聞いてもはっきりしたことは分からなかった。
ある者は、プロイセン軍の参謀部とよろしくやっていたと言った。
ある者は、イヴトーの町に引っ越したと言った。
四方八方手を尽くして捜したが行方は杳として知れなかった。
彼は悲嘆に暮れたが、それをまた露骨に外へ出してみせた。おのれの不幸を敵兵の責にし、
若い女の失踪は、ルーアンを占領したプロイセン兵の仕業だとみなし、公然と言いはなった。
「次の戦争には見ていやがれ、仕返しをしてやるからな」


926 名前:2/5 :2009/11/05(木) 10:35:59
エビヴァン大尉の元に慈善病院から手紙が届いた。差出人はイルマだった。
「私は重い病気に罹っています。面会に来て下さいませんか?」と。
彼は飛んで行った。病院で案内された部屋に向かったが、戸には太い文字で「梅毒患者」と書かれていた。
彼女はちょっと見ただけでは分からないぐらい痩せて、やつれて、変わり果てていた。
そして彼の来院に喉を詰まらせて泣き出した。
「エビヴァン、エビヴァン、ああ、無事だったのね、よかった、エビヴァン」
彼は「どうしたのか?」と言った。
彼女は涙ながらに「ごらんになったでしょう、戸口に書いてありますわ」と答えた。
そう言って夜具の縁に眼をかくした。彼は再び「どうして、そんなのに罹ったのさ?かわいそうに」と言った。
彼女は小声で「プロイセン兵のやつらよ。私を腕ずくでつかまえて、、、」と。
彼はもはやそれ以上聞く気にはならなかった。他の病人達が彼の顔をじろじろ見た。
恥ずべき、恐ろしい病気の女たちで充満しているこの病室のなかに、彼は腐った肉体のにおいを嗅ぐ思いがした。

「すぐには治療出来なかったんだね?」
「まさか、私、これしきのことでへこたれませんでしたわ。仕返しをしてやろうと思いました。
 私も、、、やつらに手当たり次第、病毒を、一人でも多くうつしてやろうと、
 私のために死んだのは一人や二人じゃなくってよ。私、よく仇を討ってやったことよ」
「それは結構だった」
彼は立ちかけて、
「では、行くからね。四時に大佐のお宅に行かねばならんので」
「あら、もう?もう行くの。まあ、、いま来たと思ったら……」
「またすぐ来るから、どうしても四時までに行かなきゃならないのだよ」
「じゃあ、また木曜日に来てくれる?」
「うん。約束するよ」
そうして、彼は病室のあらゆる視線を浴びながら出て行った。病院を出て通りに出ると、一人でほっとした。


927 名前:3/5 :2009/11/05(木) 10:37:09
その夜、同僚は口々に尋ねた。「どうだい、イルマは?」
彼はぐあい悪そうに答えた。「肺炎でね、とても悪いんだ」
ところが、ある中尉が、彼の態度がすこし臭いとにらんで、さっそく問い合わせに行ったものだ。
そこで、翌日、大尉が将校会食所にはいるや、冷笑と諧謔の一斉射撃をあびた。
これで彼らもやっと美男子に復讐したというものだ。病名の事以外にも種々の情報が得られた。
すなわち、イルマはプロイセン軍の参謀部とよろしくやっていたこと。
プロイセンの軽騎兵の大佐をはじめ、その他の面々と、この地方を馬で馳駆していたこと。
ルーアンでは彼女を「プロイセン兵の女」としか呼ばなかったこと、などがそれであった。
一週間のあいだ、大尉は連隊中からさんざんな目にあわされた。果ては連隊長殿の耳にまで届き
「うむ、大尉の色男ぶりには困ったものだ」と言われる始末。

十日目にまた、イルマから手紙で呼び出しを受けた。
彼は怒って、破り捨てると、返事も出さなかった。それから、一週間後、彼女から再度手紙が来て、
病気が非常に悪いので、お別れを言いたいと書いてあった。
それにも彼は返事を出さなかった。
それからまた数日後、彼は病院付牧師の訪問を受けた。
御名イルマ・パヴォランは末期の床で、彼に会うことを嘆願しているのであった。
牧師についてゆくことを、彼は拒絶する訳にはいかなかった。


928 名前:4/5 :2009/11/05(木) 10:41:26
「何か用かね?」彼は言った。
「お別れが、言いたかったの。あたし、もうダメらしいのよ」
彼は彼女を信じなかった。
「聞けよ、僕は君のおかげで、連隊中の笑い者になってるんだぜ。まったく、やりきれねえよ」
彼女は尋ねた。
「一体、あたしがあんたに何をしたのよ?」
彼は真面目に答える気にもなれなくて、腹が立った。

「何も、僕は君を咎めはしないよ。ただ、今後、君に会いに来る事はまっぴらだ。
 君がプロイセン兵としたことは、ルーアンの人たち全員の面汚しになったんだから」
「プロイセン兵とあたしがした事ですって?その事なら、あたしはとっくにあんたに言ったじゃないの。
 やつらがあたしを理不尽につかまえたんだって。そして、あたしが治療しなかったのも、
 やつらに病毒をうつしてやりたかったからよ。ちゃんと、そう言ったじゃないの。
 あたし、治すつもりなら、何も難しいことじゃないわよ。それはそうですとも!
 ただね、あたし、あいつらを殺してやりたかったからよ。これでも、あたし、殺したわよ!」

彼は立ったままでいた。
「どうであれ、恥ずべきことだよ」彼は言った。
「何が恥ずべきことよ。ふん、あたしを見殺しにすることがそうなんじゃないの?
 誰も助けてくれなかったわ。だいたい、あんたは、あたしとジャンヌ・ダルク通りで出逢ったときには、
 そんなものの言い方はしてなかったじゃないの。ほんとよ!それこそ恥ずべきことよ!
 それよりか、あんたの十字形勲章が泣かなくって?あんたなんかより、あたしの方が、よっぽど貰っていいくらいよ。
 わかる?あんたなんかよりはね。そうでしょう、あんた戦場で何人殺したのさ、言ってごらんなさいよ、
 あんたなんかより、あたしの方がよっぽど殺してやったもの。あのプロイセン兵をさ」

彼は、憤慨のあまり震えながら、ただ呆然として、彼女の前につっ立っているばかりだった。
「まあ……落ち着けよ……つまりだね……なぜなら……そういったことはだね……」


929 名前:5/5 :2009/11/05(木) 10:44:04
彼女は続けて言った。
「あんた方があいつらをルーアンの町に入れなかったら、こんな事にはならなかった筈じゃないの。
 そうでしょう?あいつらを取りおさえるのが、つまりはあんたがたの仕事だったんでしょう?
 あんたなんかより、このあたしのほうがよっぽどいい仕事してやったわよ。このあたしのほうがね。よっぽどさ。
 そのあたしが死ぬっていうのに、あんたときたら、ほっつき歩いてよ、
 女をだまくらかそうと、おつに澄ましてよ……」

どのベッドからも頭が一つずつもちあがって、あらゆる眼が、この軍服の男に注がれた。
当人はただ、どもりどもり言うばかり。
「お黙り……お黙り……お黙りってば……」
しかし、彼女は黙りはしなかった。声を大にして、言った。

「まったく、実際、あんたはかわいい気取り屋さんよ。あたしはちゃんと知っている。
 ええ、それは知っているともさ。よく言っておくがね、あたしはあんたなんかよりは、
 あいつらによっぽど被害を与えたんだよ。このあたしがよ、あんたの連隊みんな寄せ集めたよりは、
 あたしのはうがよっぽど殺したんだよ……卑怯者!さっさとお行き……」

じっさい、彼は行こうとしていた。梅毒患者らの、動揺している、二列のベッドの間を通り抜けながら、
逃げてゆこうとしていたのだった。それにしても、イルマの息苦しそうな声が、追いすがるように聞えてくる。
「あんたなんかより、そうよ、あんたなんかより、あたしはよっぽど殺したよ、あんたなんかより……」
彼は階段を三段飛ばしに駆け降りると、我が家をさして、一目散に逃げ帰った。
その翌日、彼は彼女が死んだことを知った。


930 名前:本当にあった怖い名無し :2009/11/05(木) 11:28:34
この軍人みたいなタイプは大嫌いだ
こいつにも梅毒うつしてやればよかったのに

931 名前:本当にあった怖い名無しさん :2009/11/05(木) 12:48:54
イルマはビッチじゃないの?
金持ちの愛人やってたような女だから、金や権力にほいほい靡いて梅毒になったのかと思ったけど

932 名前:本当にあった怖い名無し :2009/11/05(木) 13:09:19
単なる股の緩い女と解釈して読んでみてもそんな女に言われっぱなしで後味悪い
本当に復讐を胸に決意して大佐らとニコニコ馳駆しながら梅毒移しまくってても後味悪い
ビッチかどうかよりエビヴァンがイケメンなのでざまあみろーwって思ってしまうと後味悪くなくなる

933 名前:本当にあった怖い名無しさん :2009/11/05(木) 13:38:53
負け戦でも勲章もらえるほど頑張ったのに、イケメン散々だな

934 名前:本当にあった怖い名無し :2009/11/05(木) 14:08:19
強姦された女性が自暴自棄になって性的に放縦になる、というのは
よくあるパターンだからなあ(少なくとも物語では)。
その自虐に復讐が加わったら、地獄のような日々だったろう。
イケメンがもっと機転の利くタイプだったら、彼女の最後をきれいにしてあげられて
自分の株も上げられたかも知れないのにね。後味悪い。乙。

935 名前:本当にあった怖い名無し :2009/11/05(木) 14:11:54
>>934
機転の利くタイプだったら、
そもそもが金持ちの愛人をしてるようなビッチとは付き合わんだろ

936 名前:本当にあった怖い名無し :2009/11/05(木) 14:35:22
上のあらすじしか読んでないけど
>町の豪商の愛人と噂される
ってあるから愛人説は真偽不明では?

 

モーパッサン短編集 (3) (新潮文庫)
モーパッサン短編集 (3) (新潮文庫)


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