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186あの頃はフリードリヒがいた:2013/09/22(日) 02:01:08.09
あの頃はフリードリヒがいた

1925年、大戦の敗北で疲弊したドイツに「ぼく」は生まれる。
「ぼく」の父親は失業し、家計は火の車だったが
母方の実家の援助もあり「ぼく」はそれなりに幸せに暮らしている。

「ぼく」達が住むアパートの1階上にはユダヤ人のシュナイダー一家が住んでおり、
「ぼく」はシュナイダー一家の一人息子であり、同い年であるフリードリヒと親しくなる。
「ぼく」の両親とシュナイダー夫妻も自然と親しくなり、家族ぐるみの付き合いをするようになった。

1933年、アドルフ・ヒトラーがドイツ帝国首相になってからユダヤ人達への差別がひどくなっていく。
ユダヤ人の商店への不買運動がおこり、アパートの大家であるレッシュ氏は
シュナイダー一家に立ち退きを求める。シュナイダー氏は公務員をクビになった。
「ぼく」達一家は世論など気にせずシュナイダー一家と付き合っていたが
ついにフリードリヒはユダヤ人学校に転校させられる。


187あの頃はフリードリヒがいた:2013/09/22(日) 02:03:29.75
1936年、貧困に耐えかねた「ぼく」の父はナチスに入党し、コネを使って職を世話してもらった。
「ぼく」の父親はシュナイダー一家にナチスに入党したこと、
ドイツはユダヤ人が住める国ではなくなったから1日も早く外国に脱出することを忠告しにいった。

しかしシュナイダー氏は自分達一家はドイツを愛しており、逃げたくないこと、
この差別を神から与えられた試練だと思い耐え抜くと言い切った。
この差別さえ乗り切ればドイツ人達も自分達ユダヤ人を認めてくれるはずだと。

シュナイダー家から帰り際「僕」の父はシュナイダー氏の考え方は甘すぎるとつぶやいた。


188 あの頃はフリードリヒがいた:2013/09/22(日) 02:04:21.09
「ぼく」自身もヒトラー・ユーゲントに入隊した。
「ぼく」はヒトラー・ユーゲントの活動をキャンプ感覚で楽しんだ。
しかし、フリードリヒは「ぼく」の一番の親友であり続けた。

1938年、ユダヤ人への襲撃事件が頻発し、
「ぼく」やシュナイダー一家が住んでいるアパートも襲撃を受ける。
無残にもシュナイダー一家の部屋はめちゃくちゃに破壊され
フリードリヒの母親は襲撃のショックで心不全をおこし、死亡する。
「ぼく」たち一家はシュナイダー一家の不幸に同情し、できるだけの援助を与えた。

母親が死んだ後、シュナイダー氏はラビ(ユダヤ教の司祭)を匿うようになった。
フリードリヒにはドイツ人のガールフレンドと交際を始めた。
彼女はフリードリヒがユダヤ人であっても気にしないと言ってくれたが
フリードリヒはゲシュタポの手が彼女に迫ることを恐れ、自分から彼女の元を去る。


189 あの頃はフリードリヒがいた:2013/09/22(日) 02:05:53.76
1941年、憎むべき大家・レッシュの密告によって
シュナイダー一家にゲシュタポの家宅捜査が入りあえなくラビが捕まった。
シュナイダー氏も逮捕される。フリードリヒ一人が何とか逃走した。

「ぼく」も「ぼく」の両親もフリードリヒの身の安全を祈っていたがどうすることも出来なかった。


190 あの頃はフリードリヒがいた:2013/09/22(日) 02:07:52.22
1942年、逃亡以来行方不明だったフリードリヒが「僕」達一家を訪ねてくる。
フリードリヒは他のユダヤ人逃亡者達ととある隠れ家で生活していた。
しかし、財産も持ち出せず両親の庇護もないフリードリヒは
隠れ家でも立場が良くないらしく、痩せて不衛生な状態だった。
フリードリヒは「ぼく」一家とフリードリヒ一家が一緒に写っている写真を何枚もとったはずだから
その写真を1枚譲ってほしいと頼みにきたのだ。
大親友だったフリードリヒの痛ましい姿に、「ぼく」はかける言葉が見つからなかった。

母がフリードリヒに食べ物と洋服を与えている時に空襲警報が鳴った。
「僕」の父はこのアパートの防空壕はレッシュ氏が仕切っているので
フリードリヒはいれてもらえないだろうと判断し、フリードリヒを部屋から出ないようにと言い含めた。
「僕」達一家は空襲の恐怖におののくフリードリヒを置き去りにしたまま防空壕に避難する。

その日の空襲はすさまじく、「僕」達が防空壕に退避してから10分もたたないうちに
フリードリヒが防空壕のドアをたたきはじめた。
「僕」達の両親はもちろん、その場にいた誰もがーナチスの軍人すらフリードリヒに同情し、
防空壕のドアを開けようとしたーレッシュ氏を除いて。
レッシュは防空委員の肩書を振りかざし、もしこの防空壕にフリードリヒを入れたら
全員をゲシュタポに密告してやると息巻いた。
ユダヤ人でも防空壕に入る権利があると主張していたナチス軍人も黙り込んでしまう。


191 あの頃はフリードリヒがいた:2013/09/22(日) 02:09:40.98
爆撃がやみ、「僕」達一家はフリードリヒの安否を確認するためにアパートに急いだ。
町はひどい状態だったが「ぼく」達のアパートは窓ガラスが全壊する程度の被害にとどめられており、
フリードリヒがまっすぐアパートに逃げ帰ったならば軽傷、もしくは無傷で済みそうだった。

フリードリヒはアパートの前庭でうずくまっていた。
母は嬉々とした症状を浮かべてフリードリヒに駆け寄った。
母の声にアパートに帰ってきたレッシュもフリードリヒに気がつき、悪態を浴びせはじめた。
怒り狂った母はレッシュ氏に噛みついたが、父に止められる。
僕はとりあえずフリードリヒを抱き起そうとしてーある恐ろしいことに気がついた。
フリードリヒのこめかみからは血が流れーフリードリヒは死んでいた。
ぼくは棒立ちになった。

「こういう死に方ができるだけこいつは幸せさ」レッシュ氏は言った。


221 本当にあった怖い名無し:2013/09/22(日) 23:29:40.35
>>191
そういうストーリーだったのか。中学時代に国語の教科書で、
ガールフレンドのくだりを読んだだけだからありがたい。乙でした。

教科書に載ってたのは、公園のベンチがドイツ人用とユ○公用と二種類あって、
善良なガールフレンドが「二人で座りましょうよ」ってユ○公用のに座るシーンだった。

 

あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 (520))
あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫)


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