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597 名前:1/3 投稿日:2007/03/28(水) 00:57:52
大槻ケンヂの小説「憑かれたな」

優しくて母親思いだった娘が
15歳の誕生日に突然悪霊に取り憑かれてしまう。
暴言や暴力を振るい、ギャハハハハハと狂ったように笑い続ける愛娘。
母親は、娘を救うために謎の男・滝田を雇う。

滝田は念力でも気功でもなく、演技力で悪魔を祓うエクソシスト。
元役者である彼は「被害者は本物の悪魔ではなく
自分の妄想に取り憑かれている」という持論により
「悪魔を祓う演技」によって多くの被害者たちを救ってきた。

幼い頃に父親と別れ、母子二人で暮らしてきた娘は潜在的に父親を求めている。
だから祓い師には「頼りがいのある男性」が効果的だろう、と言う滝田。
滝田は、強く自信満々のエクソシストになりきって
娘に取り憑いた悪霊に「読めるものなら、俺の心を読んでみろ」と挑発する。
だが、そこで娘が発した「ここは暗い。一条の光も見えない」という言葉に動揺する。


599 名前:2/3 投稿日:2007/03/28(水) 00:58:54
滝田は舞台役者時代、女優を奈落に突き落として死なせてしまった過去があった。
「一条の光も見えない暗闇で助けを求める女」は
滝田が役者を廃業してエクソシストになった理由でもある、心の傷だった。

娘さんは本当に私の心を読んだ、これは本物だ、と怯える滝田。
ギャハハハハハと狂気の笑いを続ける娘。
しかし母親ははっとする。
娘が5歳の時に別れた夫は暴力家だった。
夫が暴力を振るうたび、母親は娘を真っ暗な押入れの中に隠れさせた。
娘は滝田のトラウマを読んだのではない。一条の光もない暗闇は、娘の記憶だ。

母親の言葉に瀧田は自分を取り戻す。
彼は、母親に映画エクソシストのラストを模倣することを提案する。
あの映画の神父は、最後に「自分に取り憑け!」と叫ぶ。
娘さんにも同じ事をするのです、自分に取りついた悪魔は
母親に乗り移ったのだというイメージを与えて、妄想から救済しましょう、と。


600 名前:3/3 投稿日:2007/03/28(水) 01:00:28
果たして、作戦は見事に成功した。
悪魔に乗り移られた演技をする母親の前で、娘は正気を取り戻す。

数日後、春の日差しの中、母親は娘と二人穏やかな日々を取り戻したことを
実感して幸福に浸っていた。
あれ以来、滝田とは会っていない。連絡を取ることも出来なくなった。
母親は、きっと滝田はこれからも女優を殺した贖罪にエクソシストを続けるのだろうと思う。
と、そこで母親はふと思い出した。
かつて娘を押入れに隠したとき、自分は娘に懐中電灯を手渡していた。
だから、押入れの中は娘にとって「一条の光もない」場所ではなかった。

……娘の中の悪魔は本当に滝田の心を読んでいたのではないか?
だとしたら、その悪魔は、今、自分の中に?

まさかそんな馬鹿な話があるわけがない、と思う母親。
自分を安心させるために小さくフフフと笑ってみる。
すると、もっと笑ってみたくなった。
ギャハハハハハハと狂ったように笑いたくて笑いたくて仕方がない。
それは、こらえることなど出来なかった。
「憑かれたな」と、母親は思った。


603 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/03/28(水) 01:14:24
>597 後味は何故かスッキリした 面白かった

604 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/03/28(水) 01:14:27
>>597-600
うわあ後味悪い…
ていうか怖いね
滝田はどうなったの?
そもそも映画では神父が自分に悪魔をとりつかせたんだから、
滝田も責任持って母親じゃなくて自分にとりつかせるべきだよな…

606 名前:597 投稿日:2007/03/28(水) 01:35:26
>604
一応、魔物に取り憑かれる役とそれを「祓う」役が必要だった事から
憑かれ役は母親になった展開。

滝田は悪魔祓いを終えると颯爽と去っていき、その後連絡を取ろうとしても
「この電話番号は現在使われておりません」になってしまったらしい。
彼は一体なんだったんだろうね…という、この手の話にはよくあるパターンなんだが
その後にこのオチ。
これ読んで以来、こういう去り方されると困るなと思った。

 

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