槍持ち佐五平の首(佐藤雅美)

802 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/07/18(水) 09:47:00
佐藤雅美 「槍持ち佐五平の首」

文政(1818~1830)の頃、奥州相馬藩であった実話。
ある夜、相馬藩の参勤交代の先遣隊長である絹川弥三右衛門が泊まった宿に、
会津藩の先遣隊である沢田清左衛門がたずねてきて会津藩が宿を使うゆえ明け渡せと言ってきた。
絹川は先に泊まったのはこちらであると突っぱねたが、相馬藩は小藩だが会津藩は大藩、
ひと悶着押し問答の後に争うのは得策でないと悔しさをかみしめて渋々明け渡した。
別な宿に移った後、絹川は随伴してきた槍持ちの佐五平から槍を最初の宿に置き忘れてきてしまったと聞かされる。
武士にとって槍は命のようなもの、それを忘れてきたとあっては相馬藩の面目は丸つぶれになる。
絹川は返してもらってこいと佐五平を取りに行かせる。
しかし沢田はさきほどの一件を根に持ち、絹川の請書が無ければ槍は引き渡せないと意地悪を言う。
絹川は請書を書いて佐五平に持たせたが、今度はその請書が本物かどうかわからないし、
どうしても返してほしければ間抜けな槍持ちの首を持ってこいと言う沢田。
さすがに絹川も堪忍袋の尾が切れ、なれば佐五平の首を斬ってそれを持参し、沢田を斬って自分も死ぬと言い出す。
佐五平は驚いて抗弁するが、結局責任は槍を忘れた自分にあると観念して一度はおとなしく首を打たれようとするが、
やはり怖くなって逃げ出そうとする。絹川はそこを後ろから斬って捨て首を落とす。
絹川はそのまま会津藩の宿に赴くと、出てきた沢田に佐五平の首を投げつけ、のけぞったところに抜き打ちで
斬りつけ沢田の額を真っ二つ。続いて二人を殺傷。

と、ここまでで事件の記録は終わっていて、絹川がその後どうなったのかわからない。
事件性を考慮して会津藩がもみ消したと言われている。
絹川自身は胸がすっとしたかもしれないが、槍を忘れただけで死ぬはめになった佐五平が
あわれすぎて後味があまり良くなかった話。


805 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/07/18(水) 10:51:27
>>802
いや、自分で槍は武士の命って言っておいて、後段で槍を忘れただけでってw
命忘れたんなら、命掛けて取り戻さないとな。
絹川さん天晴れだと思うよ。
たぶん後で腹切っただろうけど。

808 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/07/18(水) 10:58:39
>>805
命って言ったのは絹川さんで、佐五平はタダの槍を運ぶ人。
佐五平は哀れすぎだと思うけど。
主もろとも、沢田に宿を追い出されたために
あわてて忘れて来ちゃったんだろう。
それでも沢田がすんなり返してくれてれば
何とか収まった筈。

809 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/07/18(水) 11:42:54
>>808
いやいや、主の命同様な槍を任されていた人物が、その槍を忘れたんだぜ?
現代ならともかく、江戸時代ならその場で切腹もんだろ。
たとえ沢田が素直に返却してくれてても。

812 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/07/18(水) 13:24:50
杉浦の江戸本読んだだけだけど、大名行列とかでも町人や農民のバイトが多いんだと。
武士もお金がないから常雇いで部下を持つのは無理だけど
さりとて大名行列で人がすかすかなのもみっともないから
武士の見栄と面子で期間バイト雇うんだと。
行列の先頭で槍回し(一種の芸)をする花形ですらバイトだったりとか。
だからその槍を忘れた佐五平もバイトの人だったのかも。
まあバイトだからって武士の命忘れちゃいかんけど。

814 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/07/18(水) 14:08:33
佐五平という名前から考えると、一般町人だろう。
とすると武士の面子のために佐五平は死んだわけで、ますます後味が悪いな。

 

槍持ち佐五平の首 (文春文庫)
槍持ち佐五平の首 (文春文庫)