新世界より(貴志祐介)
- 今アニメもやってる「新世界より」という小説サキが暮らす世界では呪力と呼ばれる、念動力を皆が備え持っている。
意思だけで巨木を折ったり、火を起こしたり、物を投げたりできる。
文明は未発達で電気も公共事業に使われる程度だが、呪力は遺伝子操作にも使え、
この世界では、羊毛を取りやすいよう羊はほとんど絨毯に近い形態をしており、
乳牛は乳房が本体のような姿になっていた。そんな動物の中には人間に近い知能を持つバケネズミというものがいた。
バケネズミはハダカデバネズミ(現実にも存在する動物)をベースにした生き物で、
二足歩行で背丈は一メートルほど、一部は人語をも解し、
掃除やら土木作業やらの様々な仕事を与えられ人間に使役されていた。
ハダカデバネズミでぐぐれば想像できると思うが、非常に醜い姿をしている。ある時サキは、山奥で奇妙な生き物を見つけ捕獲した。
それは自律型の「図書館」であり、現代では禁書とされる知識を備え
数百年ほど前に放流されたものだった。様々な偶然が重なった結果、
サキは図書館から知られざる人類の歴史を聞かされる事となった。千年ほど前に呪力を持つ者が突如生まれ始め、混乱から世界規模の戦争が勃発した。
その末に生き残った能力者たちは、争いを繰り返さないよう自分たちの遺伝子に枷を刻んだ。
それは「愧死機構」というもので、自らの同種たる人間に危害を加えた者は、
呪力による強制自殺が起こるという仕組みだった。
それらが刻まれて数百年語の子供であるサキは、殺人という概念も持っていなかったため、
図書館が話す血塗られた歴史に嘔吐するほどの激しい衝撃を受けた。人類は人類を殺せないようになっているが、間接的な方法であれば可能だという。
呪力によって作られたネコダマシなる生き物に
痕跡を残さないほどきれいに殺させるという方法がその一つだった。
先天的、あるいは重度精神病などの後天的な理由で愧死機構が発動しない者、
呪力の扱いが不完全で危険がある者、視認することで発動する呪力を使うのに不適当な近視者など、
他にも様々な欠陥者が出たため、彼らを始末し平和を維持するためネコダマシが発明され、
成長過程の子供にだけ知らされず密かに欠陥者を殺していた。
- サキの友人には真里亞と守というカップルがいた。
真里亞は西洋の血を引いて真っ赤な髪の毛をしていた。
サキたちは学校で呪力をコントロールする授業を受けていたが、
守はコントロールが下手で「欠陥者」と判断されるようになった。
図書館と出会った現場に同行していてネコダマシの事も知る守は、
殺されるぐらいなら集落を抜けて人里離れた場所で生きると守は決断し、
真里亞は彼についていくと決めた。
サキは友と離れることを悲しみながらもその手助けをすることにした。二人の逃亡を手助けする中で、サキは今までにも何度か会ったことのある
バケネズミの野狐丸や奇狼丸と出会った。
バケネズミは基本的に、自分たちの言語によるカタカナ語の名を名乗っているが、
特に優れていて人語にも堪能な者たちは人間から褒美として漢字の名前を与えられていた。
野狐丸はかつてはスクィーラという名だった。
野狐丸は革新的な存在で、保守的な奇狼丸とは対立関係にあった。バケネズミは元となったハダカデバネズミがそうであったように、
哺乳類より昆虫に近い独特の社会を持っている。
その特徴は、女王ネズミが子を産み他のバケネズミらが女王に奉仕するというものだった。
バケネズミらは人間に近い知性を持つものの、女王は脳に対し巨大すぎる体格を持ち
巣の最奥で子を生むだけなので野生に近く狂っている事が多い。野狐丸は、母なる女王に仕えるべきという慣習を崩し、女王に脳改造を行い
本当の産むだけの機械にしてしまい、コロニーの実験を握ってしまった。
バケネズミたちのコロニーは複数あり細分化されてそれぞれ女王を持っているが、
野狐丸はコロニーの統合をはかり、より機能的な集団を作り上げるために
産むだけの存在がトップではいけないと各女王の産む機械化を進めていた。そんな内部の争いの様子を聞くとサキは不気味だと思っていたが、
バケネズミは人間がその気になれば呪力で数十匹を一斉に殺すことも可能な卑小な存在で、
しきりに人間を「神様」と呼び怯えてこびへつらうので特に恐れてはいなかった。
奇狼丸はかつてサキに命を救われたことがあったため、
サキの命令に従って守たちの逃亡に手を貸してくれ、
そうしてサキは友人たちと永遠の別れを果たした。
- それから十数年後のこと、
ある祭の夜に銃を持ったバケネズミが大量に現れ、油断していた人々を殺害した。
その世界ではとうに失われていた様々な銃火器をバケネズミたちは復元させており、
呪力の方が威力では優っていたが、銃火器もバケネズミも数が多すぎてキリがなかった。阿鼻叫喚の中で更に現れた脅威は、ボロボロの格好をした赤い髪の人間の子供だった。
その子供は呪力によって人々を殺害した。子供には何故か愧死機構が発動しなかった。
子供に立ち向かおうにも愧死機構前に起こる攻撃抑制という頭痛や動悸に苦しむ間に殺され、
誰も太刀打ちすることができなかった。サキはひたすら逃げるしかなかった。
特徴的な赤毛などから、子供は真里亞と守の子だとサキは確信した。
恐らくは真里亞たちは殺され、取り上げられた子供はバケネズミに育てられ、
何らかの方法で愧死機構を解かれ人殺しの道具にされたのだった。
逃げる途中でサキは、この事件によって危険視され捕らえられたという奇狼丸に出会った。奇狼丸によれば、事の首謀者は野狐丸であり、
赤毛の子供を最大の武器にして人間に下克上を企てているのだと明かした。
バケネズミは知性ある生き物であるのに人から畜生として扱われているため、
革命を起こし人権を勝ち取ろうという考えは奇狼丸も同意できたが、
その手段として女王への敬愛を捨て、兵となる者を増やすため女王を脳改造した事などが
奇狼丸には許し難く、人間側につくことにしたという。赤毛の子供は他のバケネズミらとバケネズミの言葉で会話していた。
愧死機構は「人類が同種を殺すこと」で発動する。
バケネズミの巣には鏡を使う習慣がないので、ひょっとしてバケネズミの中で育ったあの子供は、
自分をバケネズミと思い込んでおり、人を「同種」と認識できないため
愧死機構が発動しないのではないかとサキは推理した。
その事を逆手に取り、追い詰められたサキは最後の手段として、
奇狼丸に人間の格好をさせて子供に突撃させた。
奇狼丸を人間と思い込み彼を殺した子供は、その後で奇狼丸がバケネズミである事に気づき、
「自分と同種の者を殺した」と認識した瞬間に愧死機構を発動させ死んだ。そうなれば後は、いくら銃火器を持っていようとも
戦闘態勢に入った人間の呪力に優る術はバケネズミにはなく、
大量のバケネズミが殺され野狐丸は捕らえられた。
- 審問の中で野狐丸は、知性あるバケネズミらに人権を与えることを要求し、
「野狐丸」と呼ばれることを嫌い、人に与えられたものではないスクィーラという名で呼ぶよう激昂した。
野狐丸は一貫して、全ては同胞たるバケネズミのための行動だったと述べた。
多くのバケネズミが作戦の踏み台として死んでいったが、
それも後の世のために必要な犠牲だったという。
驕った畜生が人に楯突いているだけだと誰も聞く耳を持たず、
「私は獣ではなく人間だ!」という叫びも苦笑を呼ぶだけだった。ただ殺すだけでは足りない被害を出したからと、スクィーラには無限地獄の刑が宣告された。
それは、全身の神経細胞から脳に極限の苦痛の情報を送りつつ、
呪力によって損傷を常に回復させ死んだり発狂したりという逃げ道を許さないまま、
100年以上の長きに渡ってその苦しむ姿を、
事件の鎮魂のために作られた施設内で展示するというものだった。バケネズミを他の家畜らと同類のように扱っていたサキだったが、
「私は人間だ」という叫びから疑問を抱き調べるようになった。
その結果、バケネズミは呪力を持たなかった人々に、
呪力でハダカデバネズミの遺伝子をかけあわせた存在の末裔だとわかった。長い争いの末に自らに愧死機構などを刻んだ能力者だが、
愧死機構は自らの呪力が原動力であるため、無能力者に刻むことはできなかった。
そのまま無能力者を放っておいては、
無能力者には能力者を殺すことができてしまい脅威になってしまう。
だから能力者たちは無能力者を人間ではないもの、バケネズミへと作り替えたのだった。
愧死機構によって同種へ吐き出すことが出来なくなった暴力衝動のはけ口という面も
バケネズミは担わされ、それ故にただ無能力者を全滅させればいいという考えには至らなかった。掛け合わせる対象がハダカデバネズミであったのは
女王ネズミなどの特徴がコントロールに容易だったためもあるが、
その外見の醜さが異類扱いして嗜虐欲を満たす用途として向いているからだった。
- サキが出会ったのと同じような「図書館」とスクィーラは出会い、
部下らに使わせた銃火器は図書館から得た知識で作り出したのだろうとサキは思った。
そしてその図書館はバケネズミの成り立ちについても知らせ、スクィーラを奮い立たせたのだろう。事件の後でバケネズミを一掃しようという案が出たが、
投票の結果、小差でバケネズミの存続が決定された。
大役を担った奇狼丸が死ぬ前にサキに仲間の保護を約束付けていた事や、
スクィーラが率いた以外のバケネズミの中には人間側に協力的だった者もいた事が大きかった。
しかしそれでもバケネズミはあくまでも畜生として扱われ、
サキも混乱を招きかねないからと真実を話せずにいた。事件から一ヶ月後、サキは展示されているスクィーラのもとへいった。
サキは呪力によってスクィーラを完全に殺し、無限地獄の刑から解放した。
スクィーラは元は人間であったものの末裔で、
人間としての誇りを持ち人間扱いされる事を望んでいた。
それらを全て知っていたサキは覚悟しながらスクィーラ殺害に臨んだが、
どこか根本的なところでスクィーラを人間として意識する事はできていなかったのか
愧死機構が発動することはなかった。上手くまとまらず長くなったがこれで終わり
結局最後まで本当の意味で人間扱いされることのなかったスクィーラが可哀想だった
- 新世界よりは”偽りの神に抗え”の意味が分かった瞬間スッキリする
- 新世界よりアニメの方で今まさに最終回見たけど切なかったわ
- 新世界よりは途中で作画崩壊してキャラが別人になったりしてから見てなかったが、
そういうヲチだったのか
話の途中までは世界観とかに引き込まれてたから、
最後まで安定して作画して欲しかったな