ホーム » 小説 » 小説/な行 » 人間の皮(曽野綾子)

170 名前:1 :2010/10/15(金) 19:43:46
曽野綾子の短編、タイトルは失念です。記憶で書いてます。

田中何某は29の時、結婚したばかりの妻(A)を置いて熱帯の島国に単身赴任した。
しかしその僅か半年後、彼は赴任先で、会社が倒産したことを知らされる。
会社は現地法人に多額の債務を残したままだった。無論、返すアテなどあろうはずもない。
この無頼な国での借金の踏み倒しであった。彼は死を覚悟して債権者のもとへと向かう。
しかし債権者は彼を殺そうとはしなかった。能力を買われた彼は、名を変えてその下で働くようになった。
名を変えたのは、他にも存在する債権持ち達から逃れるためである。彼は勤勉に働いた。
そのうちに、債権者の姪(B)に好かれるようになった彼は、望まれるままに彼女と婚姻関係を結んでしまう。
日本に妻がいることを理由に断ろうとはしたが、「もうお前は日本には戻れない」と言われ諦めたのだ。

Bは貞淑な女だった。家事に長け、常に夫を立て、理想の妻たらんとする意思に満ちていた。
しかしそれゆえに彼女は家庭に完璧さを求めた。たとえばある料理は酢醤油で食べるものと決まっていた。
彼がたまにはレモンをふりかけて食べたいと要求しても、決して応じようとはしなかった。
さもありなん、その完璧さは一族が望んでいるものだったのだ。
一族の女として生を受けたBにとっては当然守るべきことであり、主人公の要求は理解の外だったのだ。

そんな相手との生活ではあったが、それでも2年間は平穏に過ぎた。Bとの間に愛情も芽生えた。
だがとうとうある日、島の空港まで来た時に、発作的に彼は乗る予定の全くなかった飛行機に飛び乗った。
自分は、勤勉だが臆病で流されやすい性格だと思っていたのに。それは本人ですら驚いた行動なのだった。

頼るアテのない旅となったが、彼は船士の技能を有していたため、貨物船に拾われて糧を繋いだ。
しかしある時チフスにかかってしまい、二ヶ月の入院を余儀なくされる。
そしてチフスの高熱は彼の体質を変えた。抑えようのない食欲に襲われるようになったのだ。
入院中に15キロ増加。その後も太り続けた彼は、外見上も別人同然となった。


171 名前:2 :2010/10/15(金) 19:44:54
そのような遍歴ののち、彼は日本へ舞い戻った。
以前の妻Aはとうに再婚していたが、そのことに彼はむしろ安堵を覚えた。
やがて彼は、とある会社の輸出部に勤務するようになる。かの国で習得した外語能力を買われたのだ。
そしてそうなると、次は必然である。彼は再び、かつての赴任先であった島国へと派遣された。

以前とは顔形も名も変わっている。島国の住人には、自分の素性に気づく者はいなかった。
彼はふらふらと馴染みの道を歩き、やがて墓地で行われている祭礼の場を訪れた。
この国の人間は、墓に凝ることで知られている。
死した後もその霊は残り墓で暮らす、ゆえにその墓は家屋の様相を呈しているのだ。
彼は幾つかの墓を巡ったのち、Bの一族の墓の扉を開ける。
Bの叔父(かつての債権者)は死亡したらしく似姿の彫像が置かれていたが、
その横ではBが楚々とした面持ちで佇んでいた。
しかし彼女も自分に気づいた様子はない。彼はそのことに、やはり安堵する。
だが、予想に反してBは再婚していなかった。
誰かの妻となるために生きていたような彼女が何故、と彼は不思議に思う。
その答えは、その場に居合わせた彼女の親族の口によって明らかにされた。

まず、彼は、自分がBとその一族を捨てた、と思われていると考えていた。
しかし実情は違った。彼は不慮の事故で死亡したと思われていたのだ。
聞けば、彼がこの島から姿を消した直後、彼の服を着た死体が海から上がったのだそうだ。
遺体は酷い有様で顔面も潰れていた。しかし服を見たBがこれは夫だと言ったらしい。
そうして彼は得心する。
彼はこの島から逃げ出した時、飛行機を降りた際に強盗に遭い、身包み剥がされていたのだ。
そしてその強盗が何らかの理由で死亡したために、このような誤解が生まれたのだろうと。
しかし、その誤解はBの一族にとっては真実以外の何物でもない。
彼の死は、職務中の名誉ある死として受け止められていた。
そして、だからこそ、Bは再婚をしていないのだ。
妻は英雄である夫の霊を慰める役を担う。B自身もそれを誇らしく感じている様子だった。
だがそのために、Bは残りの生涯をこの家の中で、墓の中で過ごすことが義務付けられていた。


172 名前:3 :2010/10/15(金) 19:46:08
動揺覚めやらない主人公に、Bが遊戯への参加を勧めてきた。遊戯とは、麻雀のことだ。
この国では麻雀は家族で愉しむ遊興として定着していた。親族が集まればまず卓を囲む。
すなわちそれは、一族の墓で暮らすBにとっての唯一の慰めとなっていたのである。
だが、どうしてか嫌がる親族2人を強引に加えてゲームを始めたものの、
Bの腕はお世辞にも良いとは言えないものだった。
慣習的に手心を加えることが許される気風の国ではないので、そのままBは手酷く負けてしまう。
と、Bは突然両手で顔を覆うと、ベッドに横たわり呻き声を上げ始めた。それを沈鬱に眺める親族。
夫の失踪以来、Bは時折酷いヒステリーを起こすようになったんだ、と彼らは語る。
更には、皮膚について奇妙な症状を呈するようになった、とも。
訝る彼の前で、Bの苦しみ方に変化があった。
寝台に横になり、腕を引きつるように伸ばして呻く。
と、みるみるうちにその腕が褐色に染まっていき、皮膚が乾いて白く浮き上がった。
「始まったのか」親族はそう呟き、Bに近づく。
そして皮を掴んで手首の方向へ引っ張ると、蛇の抜け殻のようにそれがすっぽりと抜けたのである。
彼は息を呑んだ。なんだこの症状は。親族はジンマシンが悪化したようだと語るが、信じ難かった。
だがいずれにせよ原因は明白だった。彼の存在がBをここまで追い込んだことは間違いがない。
Bは泣いていた。だが誇り高くあろうとする意思がその目には宿っていた。それが今の彼女の全てなのだ。
その意思を挫くわけにはいかない。彼女のこの姿を前にしても、自分は素性を明かすことは出来ないのだ。
彼は懊悩する。そしてその果てに、せめてこの出張中だけは、毎晩彼女と麻雀してやろうと決意するのだった。

…長くなってしまったけど、以上です。
Bが兎に角哀れなんだけど…それだけに、最後の主人公の決意が…。それでいいんかい!という感じで…。
最後の最後で後味の悪さの方向性がぶれたのが後味悪い点、というべきなのでしょうか。うーん。


184 名前:自治スレでローカルルール他を議論中 :2010/10/15(金) 22:06:48
>>170
『人間の肌』ですね。途中までは「或る日本人の半生」という雰囲気で
冒険譚っぽかったのが、Bのエピソードで一気に暗くなるんですよね。
同作者の『暗い長い冬』を以前書き込んでくれた方でしょうか。
曽野綾子の中ではあちらが白眉だと思いますが、他も面白いですよね。

 

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