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951 名前:本当にあった怖い名無し :2010/08/06(金) 08:15:08
井伏鱒二「黒い雨」より

座席に腰をかけていた少年が、金壺眼の横に立っていた婆さんに席を譲った。
中学三年生か四年生ぐらいの少年である。
婆さんは感謝の気持ちか、または好奇の気持ちを起こしたのだろう。
その少年が話相手になろうとしないのに頻りに話しかけ、被爆したときの様子を聞こうとした。
少し、くどすぎた。
少年は気を悪くした風で一気に喋った。大体において下の如き話である。

この少年は火の玉が閃いたときには家の中にいた。
ぱっと光を感じ、ごうっと云う音がしたので外に飛び出そうとした。
同時に家が崩れて失神した。気がついたときには、梁か何か太い木材の間に挾まって、
自分の父親がその木材を取除けようとしているところであった。
父親は「しっかりせえ」と励ましながら、少年の足を挾んでいる木材を持ち上げようと、丸太を梃子に使っていた。
もう火の手が迫って来て、崩れた自分の家に火が燃え移っていた。
父親は「おい早く足を抜け」と言ったが、足首を木が挾んで動かせない。火事は三方から迫っている。
父親は辺りを見まわして「もう駄目じゃ、勘弁してくれ。わしは逃げる。勘弁してな」と言ったかと思うと、
丸太を放り投げて逃げ出した。少年は「お父さん、助けて」と叫んだが、
父親は一度振り向いて見るだけで消え去った。
少年はがっかりして木材と木材の間に身を沈めたが、
足首の束縛を不意に感じなくなったので木材と木材の間から這って出た。
魔法の環のように不思議に抜け出した。それで火事の切れ目に通じる道を駆け抜けて、
三滝町の伯母さんのうちへ駆けつけると父親がいた。幸か不幸か、父子のこんな対面には
伯母さんも言う言葉が無かったようであった。父親は何とも間の悪いような顔をした。
少年はその場を逃げ出して、亡くなった母親の里へ行くために、現在、可部行きのこの電車に乗っている。

少年は喋り終ると眉をしかめて口をつぐんでしまった。婆さんは叱られでもしたかのように、
きちんと腰をかけて項垂れたきり何も言わなかった。手拭を姐さんかぶりにした六十前後の品のいい婆さんであった。


952 名前:本当にあった怖い名無し :2010/08/06(金) 08:35:56
母親はそういう時、自分の命に代えても助け出そうとするけど
男親なんてそんなもんだよね。

953 名前:本当にあった怖い名無し :2010/08/06(金) 09:52:39
さぁ、どうだろう?
他に兄弟がいるかどうか等にもよるんじゃない?

逆に、目の前の一人の子を助けるために近視眼的に命を投げ出して
他の子達を路頭に迷わすなら、
それはそっちの方が親としてはどうかと思うし。

 

黒い雨 (新潮文庫)
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